ほんとに棒が好きだった。

『すべてつながった。』で書いたのですが、

http://ayutann.hatenablog.com/entry/2017/08/27/200512

小さいころからほんとに棒が好きでした。

 

母にそのことを話すと、

あ「じつは小さいころから棒が好きだったんだよね」

マ「好きだったわよ〜、1歳半くらいからよ」

あ「えっ、知ってたの?!(そりゃそうか??)しかもそんな前からだった?」

マ「なんか得意そう〜な顔するのよね。目ざとくね、枝とか拾って離さないの」

 

とのことで、アルバムを見てみると、証拠写真がたくさんありました。

 その1

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得意げ!!ボールペン握ってます。

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ウンチするときも離さず、「出ました〜」のお知らせもしてます・・

 

その2

絵筆持ってます。

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その3

木の枝を拾って離さない

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その4

ハタキ!

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 その5

ゴルフクラブのおもちゃ

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 この時、同い年のいとこ(男)にあわせていつもより子供ぽく振る舞っちゃったな、と思ったことを覚えています・・

 

 その6

マスクマン!

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そして約30年後・・

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ワンド!

 

と、終始一貫しております。

果たして、この魔法のステッキの使い方は、まださっぱり分かりません。

 

が、

やっぱり『好き』は『思い出す』ことなのだと思います。そのうちワンドの使い方も、思い出す気がします。

 

※※※おまけ※※※

ワンドをみたワンチャイがひと言。

「足つぼ?」

 

ファンタジーを一切理解しないワンチャイの手にかかると、魔法のステッキも足つぼ押す棒になってしまいました。

 

「ちょっと返してっ!足につけないでよ!」

と言ってしまいました・・

 

味気がほしい。

引っ越してもうすぐ2ヶ月になる。
1ヶ月たったくらいから急にいろんなことに慣れてきた。

お家も使い勝手よく、そして居心地がよい。

ワンルームディスコなので、初めはひたすらせまいな〜〜と思っていたけど、
掃除が簡単だから管理も簡単。いつもきれいでいられるし、良い面がどんどん見えてきた、

近所の散策にお店開拓、新しい習い事、ちょっとした旅行などしているうちに
生活になじんで気持ちも変わり、
引っ越す前のことは去年ぐらいのことに思える。

慣れてきたところで、変えたいことも出てきた。

今回はささっと引っ越したので、足りない家具はとりあえずイケアで取りそろえた。
だいたい満足しているけど、味家のなさが、だんだん体にあわなくなってきたのを感じる。

私はイケアで、屋外用のパラソルがさせて折りたためる丸いテーブルを買って、
赤いギンガムチェックの布をかけて、「ビストロ風!」と言って気に入っていたのだけど、
なんとな〜くその簡易なテーブルの足下からのぞく味気なさが、
なんともいえず落ち着かなくなってきた。

最初は「ゲストハウスみたいだな〜〜airbnbでこんな部屋だったら楽しい!」
などと思ってテンションがあがっていたところ、
やっぱりゲストハウスは簡易でよくても、長く居ると少々の味気なさが安らぎを奪うような気がするのだ。大げさだけど。
そんな感じに体にあわないものを感じだしたところ。

そこで折良く、待望のものが届いた。

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友人のお母さんが引っ越しお祝いにと焼いてくれた、お皿セットです。

友人のおうちに遊びにいくたびに、なんだかユニークで味のある、
あたたかみのあるお皿がいくつかあって、聞くとお母さんが焼いたもの、
ということなので、いつか私も自分の生活をするようになったら、
焼いてもらいたいな〜と思っていたので、お願いしていたのだった。

私はモノがこんなに生活にあたたかみを与える力があることを初めて知った。
大げさだけど(2回目。)。
それほど「味気」のもつ安らぎ、彩り、エネルギーは大きい。
長い目でみれば健康に影響するレベルの気がする。

味気ってなんだろう?それは「大事にされた感」のような気がする。
作る過程やこれまで辿った時間で大事にされてきたものは、誇らしげで優しさがあって、きっと幸せそうなんだろう。
大事にされたモノが放つエネルギーは、ぬくもりを感じさせるなぁと思った。
人やペットと同じだ。


そんなことを考えつつ、今は木のテーブルがほしい。
もう少しほっこりしたい。

そして次はどこに住もうかなと反対のことを考えたりして、
いろんなとこに住んでみたい、そんな欲も捨てられない。

夢みることをやめられないよ。

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木の下でごはんを食べまして

空気が乾いた陽だまりのなかで

なんだか丸いものをみつけまして

 

ビー玉かはたまたクリスタル??と思い

手を伸ばすとそれは

ぷるんとふるえた

 

固くてヒヤッとした感触を期待していたけど

見事に裏切られ

コレナニよ?ナニコレいったい?

 

つかめないの

でもすごく綺麗なの

 

もう子どもの気持ちでしゃがんで眺める

 

水のかたまりみたいで

ぜんぶ透けてるの。

 

なんかわくわくして

元気でた

 

いつまでも、こんなことにときめいて

何かが始まりそうな予感に胸おどらせて

まるで夢みるようなことを

どうしてもやめられないよ。

 

 

 

おばあちゃんがいっぱい

知らない街で時間があったので、知らないおばあちゃんの、荷物のカートを押してあげて、一緒にゆっくり歩いて、マンションのエントランスまで送って、別れた。

 

私のおばあちゃんは、いま元気にしているけど、歩くのが遅くなったし目も悪いから、出かける時はよく手をつなぐし、おばあちゃんに合わせる。

 

だから知らないおばあちゃんでも、私はおばあちゃんと歩くことに慣れている。

そんなことに気づいて、おばあちゃんに色々教わってるなあと、感謝したくなった。

 

おばあちゃんのお陰で、こうやって他のおばあちゃんにも優しく出来たよ。

 

ありがとう。

 

「あゆの手はとっても優しいのね〜。」とおばあちゃんは言う。

いつも皆んなに心配されてるけど、私には励ましをくれたりする。

 

私のおばあちゃん。

ワンチャイの母。(←余計なひとこと。)

 

世界がにじむ時〜瞑想と恋のカンケイ〜

この5年ほどのあいだに、色々と体験してみたことがある。もともとのはじまりは、健康になりたかった。病気ではないけど、健康を通して私は自分に自信がほしかった。

私は弱くて、力がない。とすごく思っていて、身体が強ければ、すぐに疲れなければ、「私は大丈夫!」と思えるのに、色々不調を感じてしまうから、「ダメだやめよう、そんなことできない、私には無理、私はダメだ」とすごく小さくなっていた。

 

リコネクション、アロマ、レイキ、クラシカルホメオパシー、ドルフィンスイム、太極拳、気功、瞑想。

惹かれるままに色々出会い(⬆︎の順番で)経験した。ドルフィンスイムはカテゴリーが違うように見えるけど、間違いなく私に感情的ブレイクスルーをもたらしたものなので書いた。

 

免疫力とか、自己治癒力とかスタミナとかを求めていた私の、本当の願いは、

『大丈夫になりたい。』

“私は私で、心から大丈夫だと思えるようになりたい”

ということだった。

 (そして振り返れば、なんだかんだ風邪はひかなくなり、繰り返していた口唇ヘルペスも2年ほどでていない。風邪をひいても、治せる自信がついた。おまけに身長は伸びて体重も増えた!)

 

2015〜2016年の間に、タオゼンで太極拳と気功と瞑想を経験した。

その時は水がしゅわしゅわ染み込んでいくように、新しいことの吸収、それからどこかで「私もそう思ってた!」という共感があった。

 

その時にうけたクラスのひとつに、シックスヒーリングサウンズというものがあった。人の内臓、各臓器にはそれぞれパーソナリティがあり、感情と深いつながりがある、という東洋の伝統的な思想に基づくもので、五臓➕1に、音と色(光)とインナースマイル(微笑み)を届けるセルフヒーリングとなる気功(瞑想?)だ。

 

はじめてそのクラスを受けたときに、私は自分の内臓を想像したからなのか、急にすごい怖さと不安に襲われた。なんかよく分からないけど、無性に怖くて、動悸がして、血の気がひいてきた。

むかし茂木健一郎さんの本を読んだときに、子どものころ自分の心の中の開けてはいけない扉を見つけてしまった、というような文章があって、まさにそのときその扉を見つけてしまったようだった。

何とも言いようがなくて、でもそのザワついた気持ちを先生に伝えると、

それは恐いのかな??(果たして本当に?)と問われ、開けてはいけない扉みたいなものを見つけた時に、開けますか?そっとしておきますか?と聞くと、開けます、だってそれがあるというのは弱いということだから、と言った。

 

そうか。開けるのか。

そこから何かが、私の胸からだだ漏れるように溢れ出して、身体の底から渦巻きが巻き上がるように、深い大きな竜巻のようなものにのまれていくのを感じた。

その感覚に身を任せると、とめどなく涙があふれる。感情があふれだして、それを翻訳するなら、「心から謝りたい」というような猛烈な気持ちなのだ。

その渦に飲まれながら、五感も不思議な冴え方をして、真空の空間にいるような、水の底にいるような、ゆったりとした空間の広がりを身体の中から感じていた。

 

あの日帰りに見上げた街路樹を揺らす風の色。

せきとめられたものが流れて、不思議な静けさが訪れ、水の底から外の風の音を聞いているようだった。

 

一瞬一瞬がいつもよりゆったりと、鮮明に見える。胸に響いてくる。

全てがごちゃまぜになったすがすがしい感動があった。

この嵐は、2日間ほど続いた。

胸の扉は予期せぬときに開くものだ。

 

私はじっと座る瞑想にはあまりハマらなかった。色々トライしてみてそれなりに慣れたけど、あまり好きにはなれなかった。出来てる実感もなかった。

太極拳は動く瞑想という位置づけで、コンシャスメディテーション(意識的な瞑想)とも言われ、歩くとか、泳ぐとか、料理とか、絵を描くとか、そういった動作をともなう中で無心になれること、のほうが私にはあっているなあという結論だ。)

 

けれど、恋をしていたとき、また同じような景色を見たきがした。

秋のはじめに、お付き合いすることにはならなかったけれど、惹かれる人がいて、その時にみた空や木々や風景はぐっと綺麗にみえた。それをみて、あぁ、恋してるんだなあと気づいた。

 

扉をあけた時はその何倍も強かったけど、恋をしているときもじんわり溢れるエネルギーが、世界をにじませる。

 

どちらの鍵も、素直であることのように思う。

 

秋めいてくると、どうにも何か恋しいような気持ちになるのだ。

 

 

 

 

 

すべてつながった。

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渋谷にあるhidekoさんのクリスタルショップ風(fuu)で、最近クリスタルのワンドを手に入れた。

 

ワンドというのは、スティック状のクリスタルで、わたしは実はワンドが、大好きなのだ。

ワンドが好きと書くだけで興奮してくるくらい、細胞がざわめきます。(変態。笑)

 

幼稚園のころから、無償にスティック状のものがすきで、木の枝でもいい、サリーちゃんのステッキ、イパネマのステッキ、マスクマンの剣、浅草の土産物屋の十手、竹刀、指揮棒!!(実際買ってもらったものたち。)

おままごとや人形は正直興味がなかった。

どうしてこんなに、、無償に気になる、手に持ちたいと思ってしまう、わけもなくすごい好きなのだろう!

 

引っ越し前にひとつのブレスレットと出会ってから、石が気になっていて、そのあとhidekoさんのお店に出会った。

 

お店にはたくさんの色々な石があり、そこでいくつか気になるものを手にとっていて、その中でふとこのワンドを手にとった。

なんだかしっくりくる。

 

いくつか見た後で、hidekoさんにこのスティック状のものがすごい気になる、こういうのけっこう好きです、というと、

「それはワンドですね。それが気になる人はエネルギーを使える人なんですよ。その中でも、それはレーザーなのですごくパワフルです」

 

と聞いて、あ、これは魔法のステッキだ!と思った。

先端から光が走る様子が脳裏にうかぶ

そして、自分がそれを好きなことと、小さい時から無償に棒が好きだったことが急にぜんぶぜんぶつながった。

 

あーー!これこれ!

これだよ、好きなのは!イメージしてたのは!こういうことだよ!

と合点がいった。

 

 

ワンドを手にもち、

「これってもうこういう感じですよね?!」

と1人で急に興奮してくるくるっとさせてみせると、

あはは、と笑って

「そうですね。だいたいそういうワンドはエネルギーを使う人じゃなければ目にとまらないんですよ。それはレーザーだから特にパワフルだけど、エネルギー負けしてないですね。」

レーザーがほかのものとどのように違うのか、

わからないけどこのスティックの先端から光が走ってるのはわかる。それこそレーザービームのように放つのだろう。

でも妄想の気がして、hidekoさんにきいてみると、うん、間違いなく走ってますね、目には見えない光が、と同じことを言った。

私はhidekoさんからもっと色々なことを教わりたくなった。

 

ところでクリスタルショップ風にはフレンチブルドックとラブラドールのワンコ二頭も勤務しており、毎回入店時にものすごく歓迎してくれて、帰るときはほぼ無視。笑

でも無視でいい、無視されないと引き止めされて帰りたくなくなっちゃうから。めちゃめちゃかわいいです!

私はワンドも好きだけどワンコも大好きなのです‼️この日は夢に二頭が出てきてしまいました。

 

とりあえず、今は好きなだけこれで遊ぶ!!

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ちょーーど、私の指と同じくらいの太さなのだ。

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久しぶりにパッションが蘇りました!

「好き」は「思い出す」ことにとても似てるなあと、感じました。

 

 クリスタルは世界に2つと同じものはなくて、

自然にこの姿に成り、この石はモンゴルから私のもとに来たと思うと、不思議でなりません。このように加工されたのではなくて、自然にこの形になった、というのがもう、

果てしない!

世界のどこかに自分の指と同じサイズのスティック状のクリスタルが生まれている・・というミラクル。

 なんで???

 

『考えるな、感じろ』

ですね。

 

 

 

ちょっとした1up↑↑

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日曜日に日帰りで日光に行ってきました。

小雨が降り続き、川面は霧で幻想的にけむっています。

 

と、しかし今回はそんなことではなく。

 

私はこのところよく、坂爪圭吾さんのibaya通信というブログを読んでいます。「完膚なき無職」、家なし金なしの生活をあえて選んだ彼が、人のご縁で得た家を今は無料で開放し「ごちゃまぜの家」として運営し、はたまた呼ばれるままに全国世界中渡り歩き、また心をこめてお花をあげる活動とか、なんか色々日々を創っている。「所有すること」や「条件を備える」ことで得られる自分への外側からの価値(あるようにみえる)ことを全てすてて、自分自身の内から自分を愛することにかなり実験的に取り組んでいる人にみえる。(なかなか説明難しいな!)

やばいことだけをする、答えよりも問いになりたい、

ということで、やばいをさかさにしていばや、だそうです。

 

こんなことを書くと、このあとの話はいっきにしりつぼみになりますが、

たまたまその日のブログタイトルが「1日に一度は恐いことをしよう」ということで、

私はとても退屈していたので、何かチャレンジできることはないかなあ、と思っていた。

 

けっこう1人がすきだし静かな時間が好きだから、人と関わることかなあ〜と思っていた。人前にでることとか。人前にでることは本当は好きだけど、会話がめちゃ苦手!

 

でもちょっと恐いことを、こわごわやってみたあとの爽快感を私は何度か味わったことがある。爽快感と高揚感!

弾き語りのライブにでてみた、練習の成果を先生とみんなに見てもらう、荒波に負けずイルカと泳いだ、電車で気になるあの人に話しかけてみた、、など!

恐いことをやってみたあとの、退屈が吹き飛ぶ感じが毎日あったら凄いなあ、若返っちゃうなあ、と思った。(人を疲れさせ、老けさせるのは退屈だと思う。寝てもとれない疲れは退屈疲れなのた。)

 

と、うっすらそんな事を思いながら、わたしはその日母にもらった「california」と描かれたTシャツをきて、日光にて夕方、ひとりで駅前のしがないお店でうどんをすすっていた。

 

すると観光客が数人しかいない店内で、同じく1人できていた黒人の男の子がお会計を済ませたあとこちらにきて、英語で「もしかして、、カリフォルニアに行ったの?ぼくカリフォルニアからきたんだ」というようなことを言った。

 

じつは私は先週から英会話をはじめたところだったので、会話のチャンス到来だった。

それからなんだかんだ、列車の時間までお話しして、私は帰り、彼は日光に宿泊、翌日東京経由で大阪にいき、明後日帰国だという。

 

駅でお別れして、わたしは先週の体験レッスンで習ったことが活かされすぎて驚いた(まだ体験しかしてません。)。すごい良い先生に出会えたきがする!

 

そして翌日、、なんかチャレンジなことにしては今ひとつだったので、勇気をだして、彼が大阪にいく前に少しだけ東京を案内することにした。(これが、ちょっとした1up!)小1時間〜2時間ほどだったけれど、思いのほか色々お話しできてチャレンジ成功!である。

 

よく自分が1人旅のときに、色んな方に親切にしてもらったけど、逆ははじめて。

そしてわかった、やっぱり親切にしてくれるには、当たり前だけどそれなりに相手に好意があるからだ!というのを感じた。自分の時間をかけてくれるのだから。一瞬の出会いにきらきらしたものを残せる人になりたい。

(それから何かしてあげるほうは、別に何も求めちゃいないけど、遠慮より喜んでくれたら嬉しい。)

 

しかし。

なんとなく、まだ全然物足りないのであった。

恐さがたりない!

どきどきしない!

『わたしの心に触れられていない。』次のチャレンジはいったい、、

 

、、模索の日々は続く。