かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

30代独身OLの日常のB面(尽きないファンタジー)を書いています。

染まる

雪のごとく落ち葉の降る
夜に木の下で落ち葉に埋もれてしにました

金色に染まって、不思議と寒さもわすれて
疲れが溶けて流れた。
肩が軽くて、目の下の痙攣もとれた

無くそうとしても子ども心はなくせないものです。

扉を閉めてまた旅にでる。


12➕1人で1カ月旅をしていた。
みたいな気持ちで、
1カ月続いたhidekoさんのクリスタルヒーリングのクラスが終わりました。

愛のムチをくらってもくらっても、立ち上がったね私たち!
と石女子で最後に盛り上がりましたが、
本当は最後のクラスは涙腺崩壊していた感動ものでした。(私だけ?!)

クリスタルヒーリングは、各チャクラごとにチームを組んだ石たちを身体の上にのせ、グリッドというものをつくり、チャクラのエネルギーに働きかけます。
横になって石をのせると、夢と現実の狭間に入るような、細かい夢や一瞬の映像をたくさん感じます。数分間がすごく長く濃く感じて、あぁ石の働きってこういうことなんだ、と知りました。

いっさいの妥協なく、エネルギー云々のまえに、(言葉は悪いのですが)ふわふわしてるお前らみんな叩き直してやる!的な愛のムチで、喝を入れてもらいました。
(もしかして憧れの企業のインターンシップに参加した学生の気分はこんな感じかもしれない。)
見えない世界だからこそ、向き合う姿勢とその人自身のあり方が問われるヒーラーとしての、hidekoさんの厳しい姿勢に、胸打たれました。そしてものすごい仕事っぷり!
こんなクリスタルクラスは他にないと思います。。いや、ないです。(言い切り。)

『自分が望むものを自分自身に証明していくこと。経験をするとは、対処出来るようになってはじめて経験したと言える。』
響いた言葉がたくさんあって、そして言葉の持つ力を改めて感じました。

さていつまでも振り返らないで、
扉を閉めて新しい日々を作っていきます。
でも閉じた扉の向こうから、明かりがさしてくるよう。いい経験したなぁと思います。



なんと自慢だったレーザーは私の不注意で折れてしまいました。けれどクラスで新しいワンドがやってきました。

これは、昔会社を辞めるときに頂いた、サントリー美術館のガラスです。関係ないけど綺麗です。

気配

このあいだ、仕事が終わって外に出て夜空を見上げると、そこにはピーーーっと動く星があった。その迷いのない動きから、衛星かなと思った。
最近は安価な小型の衛星も打ち上げられるらしいから、たくさん飛んでいるんだろうなぁ、となんだか知った風なことを考えた。前にも何度か見たことはあったから、たくさんあるうちの1つなんだろうと思ったのだ。

その動く星は一定の速度で一直線に、かなりのスピードで過ぎ去っていった。雲に隠れるまで見届けて、よしっ、と帰路についた。

そして翌朝のラジオで、あれは国際宇宙ステーションだと知った。あの星には人が乗っていたのだった。

偶然だけど、ふと目に入る。
その「ふと」には、頭で解釈しきれないことがあるのだと思う。
直感的に感じとったものに、頭が解釈するまえに身体が反応すると、「ふと」したことになるんじゃないだろうか。

偶然に見えて、偶然じゃないのだ。
その気配を、頭より先に知っていたのだと思う。


今日はお昼に黄金色の銀杏をながめていると、後ろから小さな女の子に見つめられていた。
振り返ると2歳くらいの女の子がつぶらな瞳で、じーーっと私をみてフリーズしている。

私も見つめ返す。なんだろう??まっすぐに見つめ合うのは楽しい。
大人だとそこに理由が必要だけど、こんな小さなこどもはただただ見てくる!

こんにちは、といって手を出すと、手をのせてくれた。(犬みたいに接してしまったかな?!)

何か興味を持ってくれてるのは、すごーくわかる。まっさらな好奇心で。私はももちゃんに「発見」されたのだった。
目を見つめていると、何もないけどなんか「うん。うん。そうだね。」とうなずきたくなる。子どもは目で語る!

何をどうしても見つめ続けているので、親御さんが次第に焦りだし、
「も、ももちゃん??ほら、お姉さんも困っちゃうよ。どうぞ、行ってくださいね。ほら、ばいばーいって。も、ももちゃん??」

と行って、わたしもばいばーいと手を振って歩きだしたけど、ずっと見ているももちゃん!
振り返ればももちゃんも振り向く。
しまいにはお父さんに抱っこされて見えなくなった。

何だったのかなぁー!

でも子供の気配はまっさらで、純白のようだった。ももちゃんにはどう見えていたのかな?

魔法は、ないよ。

昔は、なんのために生きているのだろうとか、思うことがあった。
私はファンタジーが大好きだから、古代の大陸とか、宇宙人とか、エンジェルとか、そういうことがでてくる話は大好き。

でも、エンジェルのことを教えてくれた先生がいった。
「よく私の使命はなんですかとか、何のために生まれてきたのかと知りたがる人がいるけど、そんなものは、ありません!」
私は爽快な気持ちになった。
「いろーんな事を経験してください。体験してください。そのために、生まれてきたんです。何をしてもしなくても、あなたの自由なんです。」

スピリチュアルに対しての私の答え。

スピリチュアルとは、生きるための、自分を客観的にみるための智慧であり、いくら智慧があっても現実で自分のために立ち上がらないと、人生が変わらないのは当たり前です。
エネルギーやオーラや過去世は、自分を客観的に知るためのひとつの視点に過ぎないのです。(でも、自分とは思ったより大きな存在だということを感じられる面白い視点だとも思います。)

自分を客観的に見れてはじめて、人はそれまでとは異なる対処が出来ます。

スピリチュアルはそのために、大いに役立てればいいと思います。

けれど自分の全てを明け渡してしまうような、魔法はこの世にはないのです。魔法への期待をすてないと、魔法には裏切られるのだと思います。

人の意思ほど強い力はなく、意思のないところには魔法も効きません。

違和感のわかる、大切さ。

人の成長は、自分を客観的に見れるようになることだと思います。そして少しずつ器を広げていくことだと思います。
人は成長していこうと思うと、同じことを同じやり方でやり続けたら、楽しくなくなる時が必ずきます。

でも、本当の「楽しい」を知らないと、「楽しくない」もわからないのです。

「なんか違う、違和感。」は、「楽しい」と同じだけ強烈だから。

違和感を感じて、行き止まりを感じて、どうにも出来ない。それは前に進もうとしているから現れた大切な感覚です。必要な感覚です。

その行き止まりからまた、新しいものが見つかるはず、自分への好奇心を持ち続けていれば。
(だからその時に、今までのやり方で突破しようとしてはいけない。そうするほどドツボにはまり、無限の虚しさに飲まれます!)

そしてわたしで在り続ける、“わたし”はこの感性のことだと思います。
あなたが感じるもの、それがあなた自身を表すものだと思います。

本当の本当に、自分に正直に感じているか。
正直に、感じているものを認めているか。

そこには新しい地図が隠れているはず。
違和感は大切な大切な羅針盤です。

コジコジも同じきもち?


コジコジ、キミ将来一体何になりたいんだ?それだけでも先生に教えてくれ。」

コジコジだよ。コジコジは生まれた時からずーっと、将来もコジコジコジコジだよ。」

わたしが言いたいことと同じ!友達になれそう。
( ̄▽ ̄)

なりたいものが、わかったゾ!

わたしは、わたしにしかなれない
わたしになりたかった

と気づいた。

いつも教わることは、わたしの中で「答え合わせ」で、ほんとうは教わることに意味はなかった。

資格とか講座が世には溢れているので、
教わったら何かになったほうがいいような、
何者かになろうとして、
でもどれも何か違うと思っては引き返し。

何にもなれない、何にもならない。

けど、去年からの違和感が、クリスタルとともにパキッと割れた!

わたしは、私の言葉で語ろうと思う。

私はわたしにしかなれない、私になる。わたしで在り続ける!

何者かになろうとすることはもうやめた✨

スッキリ✨

(何をやっていようとも、自分で自分を語れること!わたしはそれがしたかった。だから今の自分が社会的に何者でもよいのだ。)

神社で感じたことがまたひとつしっくりきた。
心のままに、自由にいきろよ。それでいいんだよ。(どうして神社の神様は落語家のように感じるの?渋くて暖かい。)
ファンタジーという形をとって私の魂の自由が炸裂。 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

だから、
あなたはあなたのままで
あなたで在り続けてください
心のままに。