かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

30代独身OLの日常のB面(尽きないファンタジー)を書いています。

北八ヶ岳で苔を見た。

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友人に誘われ、北八ヶ岳の苔の観察会に行ってきました。

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小さき宇宙の世界。地味だ!!地味!!

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地味だけど、森の始まりの姿をみた。

 

アイスランドにいったとき、そこは溶岩の上を覆ういちめん苔の大地だった。

苔は光合成により完全に自主独立した生命体(他の生き物から栄養をもらうわけじゃない)で、たっぷりと水を含んだ苔の大地の上に木が育つ。

 

北八ヶ岳は日本でも有数の、苔の名所で、最近はJR大人の休日倶楽部で吉永小百合がCMで訪れたことでまた注目を集めているそうです。

 

苔の観察は寒かったけど、苔を愛する人達の苔愛が素晴らしかったです。

 

そしてこの北八ヶ岳苔の会を育てた、通称苔じいのストーリーがとても印象的だった。

その聞いた歴史をいっきに書いてみます。

8年前から始めたこの活動、まずは山小屋の大将たちと苔じいで「苔の会」と名前をつけ、科学博物館の先生に連絡をとり観察会をひらき、苔の会の顧問をお願いし、北八ヶ岳が「珍しい苔の森」に認定され、行政に断られながらもなんとか補助金をとり苔の図鑑とパンフレットを製作、山小屋の大将がひとりで森に木道を設置、苔の会メンバーも日本蘚苔類学会に入会し、さらに北八ヶ岳で学会を主催、山小屋の大将も苔の研究にはまりだし学会で先生と共同発表するようになる、行政も動きだし苔の森開きの日には市長もくるようになる、観察会のある日にはバスを出してくれるようになる、ディスカバーJAPANにのり、アメリカのウォールストリートジャーナルに取り上げられる、そしてJRのCMで吉永小百合さんがくる!!

 

と今や静かなる苔ブームがおきているようです。

 

苔じいと山小屋の大将たちだけで始まった活動。一から全部やったからすごく面白かった、と苔じいは語りました。

 

地元の人の意識も変わったことが嬉しかったそうです。そう、苔じいはそもそも、地元民ではなかったのです!たまたま居合わせた縁が、ここまでになったそうで、わたしは苔じいの話しを聞きながら、人を活かすのは仕事だなぁ、そして仕事は自分でつくるものなんだなぁ、と思ったのでした。

 

そして苔の会メンバーは、いまや表向きの事は行政にゆずり、いまは苔のガイド活動をしながら、ミクロからみるマクロの世界の不思議、苔から考える命のはじまりについて、考え、問いかけ、次の世代に継承していくことを、楽しみとしているといいます。

 

(なんと苔じいはITにとても強く、今も全国でその技術力を活かし仕事をする、「ユビキタス(場所にとらわれない働き方)」を体現する方でした。かっこいい!)

 

私はアイスランドの苔の大地をみてから、少し苔に興味を持つようになった、あの風景は忘れられません、というと、

苔は最初に海から陸に上がった生き物だ、アイスランドではそのはじまりに近い姿が見れたのかもしれないね、と苔じいと科学博物館の先生が言ったのがとても印象的でした。

 

私には今回苔を通して出会った人が苔よりも印象的!という旅でした。

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どこでもドアかとおもった。

ずいぶんと寒い日が続いております。

いよいよ冬だ、と思い、週末にヒーターと冬物を取りにいくね、と実家に連絡をしました。

 

すると、母マリリンが、水曜は暇だから、ヒーター先に届けようか?と言ってくれて、ランチに会う約束をしました。

 

すると、火曜の夜に、酔っ払って帰ってきた父ワンチャイが、玄関先に置いてあった水曜にマリリンが運ぶ荷物をみて、今から俺が行く!と言いだしている、とマリリンから電話がありました。

 

いいよ大変だからやめて、わざわざ今から電車で1時間もかけて来なくていいよ!とわたしは電話で言いましたが、それを聞く前に、

「あ、もう行っちゃったよ。」と、マリリンが言いました。

 

そして1時間後、本当にワンチャイはマンションにきて、部屋にあがりもせずに玄関先で、「今週雨で全然テニス出来ないからありあまってるんだよ〜3時間もあれば香港まで行けちゃうんだからこんなの余裕余裕〜」とひとしきり喋ってるあいだに私は荷物をだしおえ、あっという間に袋とスーツケースを回収して「じゃなっ!」と酔っ払いのまま帰っていきました。

 

「あっという間に帰ってったよ。」とマリリンに連絡し、週末に取りに行くはずのヒーターがその日の夜に届いてしまい、まるで玄関のドアがどこでもドアのようでした。

 

家に帰ったワンチャイにマリリンが、娘は元気にしていたかと様子をきくと、ひとこと、

「よく見なかった。」

と言ったそうです。

 

この遺伝子を受け継いでしまったことに涙する日がたまにあります。

でもお陰で暖かく過ごせています。感謝です。

 

孤独は自分への違和感。

「孤独は完全にまぼろしです。」

と聞いたことがあったけど、

でもどうしても寂しくて孤独だなあ!と思うことがあった。

 

そういう時はきまって、うまくいってないのは自分だけで、みんなわたしより幸せなのだろうなぁと思って疑わないような思考回路になってる。

 

人それぞれ感じかたや、孤独だと思う要因は違うと思うけれど、

わたしの感じた、孤独だ・・!、というのは、

「いまの自分に対しての違和感」

なのだと思った。

 

やるべきことから逸れている、いまの状態ちがうよ、そうじゃないよ、と自分から自分への警報だった。

 

そして孤独はわたしに言うのだった、「今までのやり方はもう通用しないんだよ。」と。

 

それをスピリットからのメッセージ、と聞いたけれど、だとしたらもうちょっとお手柔らかに教えてください!と思った。

むこうにしてみれば、「いい加減に気づいてこんなに教えてるのに!」というところだと思うけれど。

 

つまり、このように、本当の意味のヒーリングとは厳しいものなのだ。

 

あ〜〜いい気持ち、というのはリラックスであって、ヒーリングは時に厳しいものを目の前に突きつけられることがある。

 

少しでもあるべき方へ進んでいけると、また満たされはじめる。それはこんな、こどもじみたバカバカしいこと?!てことだったりしても、自分が満たされていればそれが正しい。

 

とにもかくにも、感じて気づくこと。孤独も満足も違和感も、感じて気づくこと。

ヒーリングとは、そのためのものかもしれない。感度に蓋が出来なくなってくるのだ。

 

孤独は、自分への違和感。

としたら、何を変えるべきか、その糸口はやっぱり孤独の中にあるのかもしれない。そう思ってせっかくやってきた違和感をちょっとでも受け入れられたら、ほんの少しはマシかもしれない。孤独にきづいたら、それはつぎのチャンスがやってきたのかもしれない。

 

 

 

ヒーラーになるのならないの?

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むかし、正社員だった会社をやめたときに、何かなりたいもの、やれそうなことがあるとしたら、ヒーラーだなぁと思った。

 

自覚してなくても、自然とそういうことにばかり興味がいったし、リフレ、アロマ、気功、色々習った。

 

はじめたてのころ、サイキックの人に「もしかしてヒーラーになりたい?」と急にいわれて、なんだか「ぎくっ!」として、もごもご誤魔化した気がする。

 

アロマ協会のスクールに見学に行ったこともあって、あそこはなぜか面接にうからないと入学できず、セラピストの素質を問われるのだけど、そこで「君おもしろいね、君みたいな人に講師になってほしい」と入学もしてないのに言われた。でもそうやって評価されたのはなんか嫌な気持ちがした。おじさんの機嫌とりたくない。

 

アロマトリートメントを家でやってみて、友達や知り合いを紹介してもらって、何か手応えらしきものがあったこともあったけど、すごい疲れた。それから、涙する人がいたときに、わたしはうまく対処できた気がしなかった。人としての未熟さも感じた。

一方的に癒すの?これって大変だな、とも思った。

 

やーめた!とベットも友達にあげちゃって、本当にやりたいのならまた買うだろう、と自分を泳がせた。

 

人のためになんてできないわ!とヒーリングを捨てて、旅が好きなことをおもいだした。他にも楽しいことたくさん見つけた。

 

それから、クリスタルに出会った。

 

それでもう一度、ヒーリングを学ぶことにした。11月からhidekoさんのクリスタルヒーリングを学びます。単純にクリスタルについてもっと知りたい、と思っただけだった。

 

けど、本当は?まだヒーラーになりたいと思う気持ちがあるの?わからない。

 

なるのならないの?決めてない。

ならないかも。

 

でも直感でひかれて、hidekoさんにレイキ伝授をしてもらった。

アロマのときに受けたことがあったけど、消化不良だったから。

もともと手からは何か出てたみたい。

けど自分の土台がしっかりしてきた気がする。まだレイキは続きがあるから受けにいく。

 

この手で、何かできるの?何かしてあげたいと思うときがあるけど、それは本当の気持ち?とか自問してみたりする。

 

ヒーラーてなに?人のために奉仕?わたしは心が狭いからそんなことばかりやりたくない。

ヒーラーてほんとに必要なの?癒されるばかりで腐っていく人の相手をすることにならないか?みんな自分の力で突破していけたら、ヒーラーはいらないんじゃないの??

 

そんなことが心に渦巻いている。

そんなことも含めて11月は学びたいと思う。

 

何より小さい時の棒もってる嬉しそうな自分の写真みたら、「とりあえずこんなに好きなんだからやらせてあげよう。」と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事は必要だ。

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イルカ御神託

『世界はキミを待ってるよ!』

 

いばや通信を読んでいたので、このあいだ坂爪さんの運営するごちゃまぜの家に遊びに行ってきました。

友達と友達の子と、3人で八景島シーパラダイスに行った帰りに寄ってみました。

(やっぱり鴨シーがNo.1なのは変わらない。)

 

綺麗にされて、行き届いていて感心しました。 

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お花はいいなあ。百合の香りがとても良かった。団体さんの帰られたあとで、ひっそりとしていたお家。ここは誰でも滞在してよくて、あるものは食べていいし、寝てもいいし、誰かがピンチのときの駈込み寺になることもあるのかも。

わたしはせっかく憧れの(?)ブロガーさんに会えたというのに、謎の人見知りを発揮してしまい、なんだかなぁ、と自分のコミュニケーション能力の粗末さを恥ずかしく思いました。が、お会いできたことは嬉しく、なんて繊細で敏感な方だろうと思いました。人の心の動きが分かるのだろうなぁと感じました。

ここ(家)は、これからどうして行くのでしょうか?

ぜひ、これまでのことが本にまとまるといいなぁと呑気に思っています。

 

(そして坂爪さんのお花を配る活動はとってもいいと思います!ということは伝え、後日本当にお花を頂きました。なんでもない日のお花はとっても嬉しかったです。)

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朝ごはん(じゃがいも・・)とお花

 

思うこと。

 

雇われるという形の仕事や、肩書きというのがないとしても、『志事』、というのは人間に必要なのだなぁ、と思いました。生活のための仕事だけでは味気ないのは確か。でもやっぱり人には仕事がいる。志を持って取り組む事がいる。それが人を活かすのだと思う。その形は本当に様々で、そこに、自由があります。

 

つながりの中で、求められて生きていたい。

そして思いを形にしたい。

自分に価値を感じたい。充分に生きたと思いたい。

 

そういうことを求める、

それはすごく健全なことだと思う。

 

いつまででも、いつからでも、そのことに対してもがいていいと思ってる。

 

形が整ったら(家庭をもつとか。)、歳がきたら、なんか終わったような、あとは惰性の人生です、みたいな事は私は一生思えない。

 

いつまでも、未完成の「いま」に悩んだり迷ったりするだろう。

 

だからこれでいいんだ、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お花

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きみは説明がすぎるよ

どうしてさ?

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(「ハチ公の最後の恋人」より。)

 

お花みたいになりたい。

お花は自分のことを説明しなくても、きれいだねって微笑んでもらえる。

 

女の子はお花です。

可愛いねって、単純に愛でられたいです。

それが栄養になります。

 

心底、愛でられたいです。

飢えてます。

お花をもらって嬉しかったです。

柴犬には見張り台が似合う

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昔会った、忘れられない犬。

柴犬のしょうた。
少しだけ遊んで、別れるとき、
いつまでも見張り台から見送ってくれていた。
なんど振り返ってもこちらを向いてりりしく立っている!
 
柴犬て、洋犬みたいにじゃれたり甘えたりしないし、あんまりベタベタ触られるのを嫌がるとおもっていたけど、
さいごに撫でさせてくれた時も、じっとオトコらしくそばにいて、ずっとずっとただ受け止めてくれてるようだった。
 
しょうたから離れることがなかったので、まだまだいつまでも触っていたかった。なんか泣きそうになってしまったので、いかんいかん!と私は立ち去ることにした。
 
あの時はすっごく寂しい時だったから、しょうたが天使にみえた。ほんとに天使だったと思う。
 
しかし、しょうたを解き放つ魔法のことばを聞いた。
飼い主「しょーた!おやーつ!」
弾かれたように去っていった。
 
あれから、よくお散歩中の他の柴犬が、台に乗ってりりしく立ってるのをみると、柴犬には見張り台が似合うなあ、と感じる。誇らしげに見える。