かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

30代独身OLの日常のB面(尽きないファンタジー)を書いています。

明けまして おめでとうございます

自分について、

愛されるまでは愛さないと、

かたくなになっていたなぁと。

自分から愛することが出来る、と

気持ちが明けました。自分も人も。

そうしたらびっっくりびっくりなことに遭遇して、

憧れの、あの曇りのない透明な、

私の前を歩いていく先輩!!

とひそかに慕う、歌手の女性に街の中で会い、お話ししました。

宇宙はせまい!

例えば夢を書くノートに、

「彼女のライブに行きたい!」とはかいても、

「会いたい」と書くことは思いつかないよ。

こんなことがあるなんて。

愛されるまで愛してやらない、と意地を、もうはらなくていいね。こんな素敵なことが起きるんだもの。

クリスタルのような人の煌めきに触れた私は、

そう感じました。

神さま素敵なサプライズをありがとう。

一瞬の夢のようなシンクロをありがとうございます。

そして明けましておめでとうございます🌅

知らなかったこと

無意識のうちに、わたしにとっての優しさとはこういうもの、とか、愛されてるというのはこういうこと、と形が決まりきっていると、
それしか受けとれなくなって、

優しさや愛情の設定は人それぞれなのに、目の前にたくさんの優しさがあることに気づけなかったのかもしれないなぁと、思った。

わたしが欲しいものはこういうもので、それでなきゃダメなんだ、と無意識に狭い枠に入っていて、その枠さえ広げたら、どれだけたくさんのものを受けとれるのだろう。

周りから、わたしが欲しい形で返してほしい、という期待が大きすぎると、本当のところが見えなくなるのだなぁ。相手は相手の形で返してくれていたのに。

知らなかった優しさが、たくさんある気がする。

平成、一般参賀。


1月2日に、はじめて皇居の一般参賀に行ってみました。

2017年は皇室のニュースが多かったせいか、この日は平成最多の12万人が訪れたそうです。

相当待つ事を覚悟して、暖かいお茶を水筒に入れてもっていきました。
桜田門から入ると、手荷物検査があり、水筒の中身を飲んで見せてくださいと言われ、
熱々のごぼう茶を飲んで見せました。笑

中にはすごい数の人が、北・東・南のブロックに分かれて、さらに1〜8の列に分かれて整然と並んでいます。

ここからニヶ所の橋を渡り、大広場に入るのですが、人の入れ替えだけできっかり1時間かかっていました。

1時間に一度のご挨拶は、皇族のご都合ではなくて、人の入れ替えにかかる時間でした。

3つのブロックから順番にすごい人が移動して、誘導されていく様をみていると、昔の中国や日本の戦で、何万の兵士が集まる様子を連想してしまい、12万人の民衆は警察と皇宮警察によってまるで兵法のように、万事無事に誘導されて行ったのでした。

広場に入ると物凄い人が、押し合うわけでもなく、整然と待っていました。一人だけ前に行こうとして割り込んで来た人がいたけど、むしろ割り込む人が1人しかいないことが奇跡的です。
建物がもう少し高いところにあれば、全員が見れたのですが、この高さではほとんどみえず、前の人の隙間から片目だけ見える、ような感じでした。でも周りの人たちも不思議と、見えないねぇ、でもここに来られたのだからそれで良い、というようなことを口にして、お正月だからか、苛立つ人は居ませんでした。不思議なものです。すごいことだと思います。

それでも姿が見えると気持ちは高まり、みんな旗をふり、手を振り、私も高まる気持ちをなんと言ったらいいのか迷いながら結局、「わぁ〜〜!」「おめでとうございます〜!」と手を振っていました。

陛下がお言葉を読まれているとき、美智子様が全身全霊で寄り添われているのが、どんなに遠くからでも分かりました。

かろうじて一部始終が見えたので、「いま割とこちらを向いている!手を振っている!中央に集まった!そろそろ戻られる!」と見えること全部を実況中継して見えない人にも伝えました。
最後に門を出るまで、すべて滞りなく流れ、ピースフルでした。日本の自慢できるところだと思います。

都内に住んでいるならではの、お正月らしい出来事でした。

年賀状2018

92年に親戚のおばさんが、写真をみながらサラッとうちの犬を描いてくれて、それを横で完成するまで見ていた小学生の時のことが忘れられません。

去年、その時の絵をおばさんが思い出して送ってくれて、今年年賀状デビューさせました。

ビーグルで、ダンボという名前でした。
食べることが大好きで、この子が食べなくなったらその時が最期だねぇなんて言っていたら、なんと亡くなる2時間前にバナナをペロリと一本食べたのでした。
あっぱれな最期でした。
我が家らしい犬だったと思います。

我が家は(主にワンチャイが)食べることが好きで、レストランに行くことが、恒例の家族イベントでもあります。

さして大した会話はなくても、ご飯を一緒に食べることで、時間と歴史を共有するような、1枚1枚重なっていく時間をつくっているんだなぁと思ったりします。我が家は食事の風景が大切な歴史と思い出になっています。

2、3年前からお正月に行くレストランがあって、今年も家族揃って行くと、奥の席には去年も来ていた男性のカップルが1組来ていました。静かに寄り添うように過ごす穏やかな2人なので、とても印象に残っていました。

それぞれどんな1年を過ごしたかわからないけど、今年もまた揃って訪れて、食事をしている。穏やかな2人の姿を見て、なんだか暖かい気持ちになりました。
これまでは変化や新しいことの方が好きだったけど、だんだんと、毎年同じことが出来る有り難さ、みたいな事を思うようになっているのを感じます。

また来年もこの光景が見れたらいいなぁ、と思いました。

生命力


葉がいっきにおちて、あらわになった骨格。
桜の散りぎわは潔いというけれど、イチョウも見事なものだ。

その骨格は圧巻である。素晴らしい。

葉のついていた部分が、枝から少しずつのびて、リズミカルな凹凸になっている。
ピコピコピコと、その等間隔の凹凸のリズムが、この木の命のリズムだなあと思う。

よくよく見ると、この少しずつ伸びてきている部分、その全てが枝になっていく要素がある。
すでに立派な枝として成長している部分をみると、このリズムの内にある。
この中のどれかがいずれ枝になっていき、そしてこの中のどれもがその可能性を持っている。すごい生命力!

また大きな枝の付け根や幹には、枝にも根にもなりうる担根体もそなえている。
イチョウて、身体全部が何にでもなれる、どこからでも成長していける、ものすごい能力を持ってるようだ。
木の語ること - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

そしてこんなに爆発的に成長してるイチョウは他にない。

すでにこんなに大きいのに、ものすごい勢いで伸び続けてる。(2、3本が1本に合わさってしまったようにも見える。)

見ていると溢れるようなダイナミックな営みが伝わってくる。

木も一本一本、異なるエネルギーを持つのだなぁと思う。

そして皆んなが散ったあとに、遅咲きの王子。
私はこの木が1番好き。枝ぶりの美しさよ!

染まる

雪のごとく落ち葉の降る
夜に木の下で落ち葉に埋もれてしにました

金色に染まって、不思議と寒さもわすれて
疲れが溶けて流れた。
肩が軽くて、目の下の痙攣もとれた

無くそうとしても子ども心はなくせないものです。

扉を閉めてまた旅にでる。


12➕1人で1カ月旅をしていた。
みたいな気持ちで、
1カ月続いたhidekoさんのクリスタルヒーリングのクラスが終わりました。

愛のムチをくらってもくらっても、立ち上がったね私たち!
と石女子で最後に盛り上がりましたが、
本当は最後のクラスは涙腺崩壊していた感動ものでした。(私だけ?!)

クリスタルヒーリングは、各チャクラごとにチームを組んだ石たちを身体の上にのせ、グリッドというものをつくり、チャクラのエネルギーに働きかけます。
横になって石をのせると、夢と現実の狭間に入るような、細かい夢や一瞬の映像をたくさん感じます。数分間がすごく長く濃く感じて、あぁ石の働きってこういうことなんだ、と知りました。

いっさいの妥協なく、エネルギー云々のまえに、(言葉は悪いのですが)ふわふわしてるお前らみんな叩き直してやる!的な愛のムチで、喝を入れてもらいました。
(もしかして憧れの企業のインターンシップに参加した学生の気分はこんな感じかもしれない。)
見えない世界だからこそ、向き合う姿勢とその人自身のあり方が問われるヒーラーとしての、hidekoさんの厳しい姿勢に、胸打たれました。そしてものすごい仕事っぷり!
こんなクリスタルクラスは他にないと思います。。いや、ないです。(言い切り。)

『自分が望むものを自分自身に証明していくこと。経験をするとは、対処出来るようになってはじめて経験したと言える。』
響いた言葉がたくさんあって、そして言葉の持つ力を改めて感じました。

さていつまでも振り返らないで、
扉を閉めて新しい日々を作っていきます。
でも閉じた扉の向こうから、明かりがさしてくるよう。いい経験したなぁと思います。



なんと自慢だったレーザーは私の不注意で折れてしまいました。けれどクラスで新しいワンドがやってきました。

これは、昔会社を辞めるときに頂いた、サントリー美術館のガラスです。関係ないけど綺麗です。