かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

北八ヶ岳で苔を見た。

f:id:ayutann:20171021103714j:image f:id:ayutann:20171021103732j:image  f:id:ayutann:20171021103811j:image

 

友人に誘われ、北八ヶ岳の苔の観察会に行ってきました。

f:id:ayutann:20171021103548j:image f:id:ayutann:20171021103900j:imageなんと!

f:id:ayutann:20171021104029j:imageなんと!f:id:ayutann:20171021104102j:imageなんと!

小さき宇宙の世界。地味だ!!地味!!

f:id:ayutann:20171021104151j:image

地味だけど、森の始まりの姿をみた。

 

アイスランドにいったとき、そこは溶岩の上を覆ういちめん苔の大地だった。

苔は光合成により完全に自主独立した生命体(他の生き物から栄養をもらうわけじゃない)で、たっぷりと水を含んだ苔の大地の上に木が育つ。

 

北八ヶ岳は日本でも有数の、苔の名所で、最近はJR大人の休日倶楽部で吉永小百合がCMで訪れたことでまた注目を集めているそうです。

 

苔の観察は寒かったけど、苔を愛する人達の苔愛が素晴らしかったです。

 

そしてこの北八ヶ岳苔の会を育てた、通称苔じいのストーリーがとても印象的だった。

その聞いた歴史をいっきに書いてみます。

8年前から始めたこの活動、まずは山小屋の大将たちと苔じいで「苔の会」と名前をつけ、科学博物館の先生に連絡をとり観察会をひらき、苔の会の顧問をお願いし、北八ヶ岳が「貴重な苔の森」に認定され、行政に断られながらもなんとか補助金をとり苔の図鑑とパンフレットを製作、山小屋の大将がひとりで森に木道を設置、苔の会メンバーも日本蘚苔類学会に入会し、さらに北八ヶ岳で学会を主催、山小屋の大将も苔の研究にはまりだし学会で先生と共同発表するようになる、行政も動きだし苔の森開きの日には市長もくるようになる、観察会のある日にはバスを出してくれるようになる、ディスカバーJAPANにのり、アメリカのウォールストリートジャーナルに取り上げられる、そしてJRのCMで吉永小百合さんがくる!!

 

と今や静かなる苔ブームがおきているようです。

 

苔じいと山小屋の大将たちだけで始まった活動。一から全部やったからすごく面白かった、と苔じいは語りました。

 

地元の人の意識も変わったことが嬉しかったそうです。そう、苔じいはそもそも、地元民ではなかったのです!たまたま居合わせた縁が、ここまでになったそうで、わたしは苔じいの話しを聞きながら、人を活かすのは仕事だなぁ、そして仕事は自分でつくるものなんだなぁ、と思ったのでした。

 

そして苔の会メンバーは、いまや表向きの事は行政にゆずり、いまは苔のガイド活動をしながら、ミクロからみるマクロの世界の不思議、苔から考える命のはじまりについて、考え、問いかけ、次の世代に継承していくことを、楽しみとしているといいます。

 

(なんと苔じいはITにとても強く、今も全国でその技術力を活かし仕事をする、「ユビキタス(場所にとらわれない働き方)」を体現する方でした。かっこいい!)

 

私はアイスランドの苔の大地をみてから、少し苔に興味を持つようになった、あの風景は忘れられません、というと、

苔は最初に海から陸に上がった生き物だ、アイスランドではそのはじまりに近い姿が見れたのかもしれないね、と苔じいと科学博物館の先生が言ったのがとても印象的でした。(始まりの国、アイスランドへ。スナイフェルスネス半島編。 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

 

私には今回苔を通して出会った人が苔よりも印象的!という旅でした。

f:id:ayutann:20171021110446j:image

f:id:ayutann:20171021110502j:image 

 青空も見れたよ。

 

 

 

京都めぐり。

 f:id:ayutann:20171005213941j:image

のどかな大原。キンモクセイの香りが満開。

f:id:ayutann:20171005130118j:image f:id:ayutann:20171005180717j:image

昔はあんなにお寺が好きだったのに、今は変わった。

5年前くらいまでは仏像が好きだったので、

「お寺には色々あるけど、神社には何もない。」と思った。

それが今では、

「神社にはすべてあるけど、お寺にはあんまりない。」と感じる。

なぞなぞのよう!最近ではそれが自然のエネルギーかなと思う。

エネルギーは循環するので、神社では何か対話できるような感じがある。(富士山もそう。)

お寺は建物があって、エネルギーよりも人が主体の人のための場所のような気がする。

f:id:ayutann:20171005180532j:image f:id:ayutann:20171005180200j:image f:id:ayutann:20171005180549j:image

 三千院の奥の宝泉院にてお茶を頂きつつ、母と姫様気分で写真とりまくり。水晶の君、と呼んでください。(手には暗殺者のようにクリスタルを持って!笑)

 

f:id:ayutann:20171005180638j:image

三千院の下のお漬物屋さんにあった一輪挿しは、私が去年に霧島の妙見温泉で買ったものと同じで、聞くと同じところで買われたそうだ。偶然にびっくり!自分も旅歩いてるもんだなあと思った。(霧島の夏休み。その4 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

 

午後は山からおりて、たまたま乗ったタクシーの運転手さんのガイドにまかせて、はじめてのお寺に。

f:id:ayutann:20171005213852j:image  f:id:ayutann:20171005213905j:image  f:id:ayutann:20171005214103j:image

終始キンモクセイの香りに包まれた、のんびりの京都めぐりを終えました。 

 

ディープな熊野と奈良の旅、おまけの京都。

とても贅沢な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

湯ノ峰温泉からの、京都へ。

参拝を終えてバスに戻った。玉置神社は社務所に有名なふすま絵があって、先生ともう1人の女性はそれが良かったそうだ。三者三様の楽しみ方をして、同じバスに揺られ村に戻る。

 

十津川温泉から今度は湯ノ峰温泉を目指す。

バスは外人さんが多かった。(「yunomine!」と英語がとびかう。ヨーロッパには多くのキリスト教巡礼の道があるので、熊野古道世界遺産登録後、多くの外国人観光客の関心をよんでいるようだ。)

 

 湯ノ峰温泉到着。

f:id:ayutann:20171001190222j:image

湯ノ峰温泉は泉質が関西1だという。

f:id:ayutann:20171001185126j:image  

つぼ湯という公衆浴場は古くからあり、昔々、毒を盛られたお侍が逃げのび、ここで湯治をして復活したという伝説のお湯だという。

宿のお湯がとても良かった!源泉に一番近いので、湯の花がたくさん。十津川のお湯を濃くした感じだ。

1人だけど、ふた部屋もある広い部屋で、贅沢だった。

 

翌朝、宿のご主人と話すと、実はご主人の本業は別にあり、この宿は数年前に買ったのだとか。旅館は趣味だというけど、1人ですべてまかなって、睡眠3時間です、お盆の時期は1時間、というそのどこが趣味なのか・・すごいな!と思った。

宿はいつも外国人観光客で貸し切りなのだそうだ。昨日今日は珍しく、日本人の方ばかりでしたね、と言った。

 

色んな人生があるものだなあと感心してしまう。以前の宿の経営者が、玉置神社と縁が深かったとのことで、玉置神社の御神体について教えて頂いた。ちょっとだけ鳥肌がたった。

 

さて、翌朝のバスで湯ノ峰温泉から2時間くらいかけて紀伊田辺駅へ。

紀伊田辺駅から特急くろしおで新大阪について、お昼だったので、たこ焼きを食べて京都に向かった。

 

ホテルで母と合流すると、開口一番に、

「なぜだか分からないけどスイートルームに変更になった。」との事。

 

たまたま予約のとれた料亭にいけば、急なキャンセルがあったので今日じゃないと予約出来なかった、と聞き、

ラッキーが重なった。

 

f:id:ayutann:20171001204824j:image

 琵琶湖の子持ち鮎

歴史ある料亭・菊乃井は、写真撮影はどうぞどうぞ、聞けばレシピも教えてくれる(でも聞いたところでそうそうできない)、板前も連休をとれるように働き方改革もしているそうだ。

(どこかのカフェが、私語や写真撮影を断るのがまったくバカみたいだ・・。)

 

山奥の秘境から都会へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉置神社へ参拝

朝ごはんを食べていると窓の外に野うさぎがみえた。きのう大斎原の河原で、小さなころころしたフンをたくさん見ていたので、やっぱり!と思った。

 

また宿の送迎で十津川温泉駅までいく。するときのうの運転手さんがいて、「このセンセイも行くらしいわ」と、玉置神社行きバスを待っていたお客さんとさっそく話していた。「ちょっとスケベェやけどな!」とがははと笑った。

 

玉置神社行きバス(世界遺産バス)は、なんと土日のみの運行で1日一本!

この日の乗客は私いれて3人だった。

 

f:id:ayutann:20171001140313j:image

晴れ!

f:id:ayutann:20171001140652j:image

山をのぼり、駐車場は標高1000メートルのあたりにある。ここから参拝する。(ほとんどの方はマイカーで来てます。)着いた!!

f:id:ayutann:20171001140530j:image

景色を眺めてからいよいよ鳥居の前にたつと、ざわざわざわ〜〜〜っと風がたって木々が揺れ、太陽がぱあーーと現れだした。

 

よう来なさったぁー・・✨

と歓迎されてるのを感じた。

f:id:ayutann:20171001141004j:image f:id:ayutann:20171001141021j:image

f:id:ayutann:20171001141134j:image f:id:ayutann:20171001141222j:image

歩いているとどんどん陽がさしてくる。光のカーテン。

 f:id:ayutann:20171001141244j:image  f:id:ayutann:20171001141339j:image 

2つ目の鳥居の前でも、歓迎を感じる。

美しい。美しい。

f:id:ayutann:20171001141551j:image

森をあるきながら、巨木の立ち姿に息をのみながら、無心に。

f:id:ayutann:20171001141717j:image f:id:ayutann:20171001141930j:image

長い参道をぬけ、本殿にお参り。熊野は魔除けの祈りの場で、玉置神社は熊野三山の総本山だそうだ。参道を歩くのがとても心地よく、けっこうな距離だったけれどあっという間についた。

本殿の裏に巨木な縄文杉があり、それを見ていると、うしろでパタっパタっと音がする。

振り向くと、1つの紙垂(しめ縄についている白い紙)が風で音をならしていた。一定のリズムで鳴り続けていて、はやくはやく、こっちに進めよ。と感じる。

(ここから心の中で「真面目はここまで!あとはファンタジー!」と無邪気な気持ちになった。)

 

まだこの先に、玉石社がある。

本殿前にもどり、目の前にいたご家族に、玉石社はこの先ですか?ときくと、分からないというので、とりあえず進む。

すると、道はどんどん頂上めざして険しくなり、休み休みしながら、どうにか登っていくと、丸い玉石がたくさん置かれた、玉石社に着いた。

玉置神社のもとは、この玉石社だそうだ。

 

しかし、すでに気持ちは頂上に向いていたため、さっと見て上に進むことにした。

なんだか、神社の中にいる時はあまり疲れとか身体の重さをリアルに感じなかったりする。ある種、ハイになっている模様。

 トレッキングシューズで良かった、と思う道を登りきり、登頂。

f:id:ayutann:20171001143600j:image

 f:id:ayutann:20171001143706j:image f:id:ayutann:20171001143832j:image

クリスタルで雲描いた。

 f:id:ayutann:20171001143737j:image

魔法使いぽくかざしてみた。なんだか、やり切った感がすごい。妄想が叶ったので、この後自撮りしたら、すごい満足気な顔をしている自分に驚いた。

 

しばし堪能していると、さきほど本殿前で声をかけたご家族が登ってきた。お疲れ様でした〜!と迎えて、記念写真を撮り合いっこした。色々なタイミングが最高でした。

気をつけて降りてくださいね!と言ってくれてなんだかホッとした。

玉石社まで降りると、たくさんの人が座って休憩していた。地元の方はたぶんだいたいこの辺までお参りして、山頂にはそうそう行かないだろう。

意味不明だけど、木の根のはう山道を走り回りたい願望が小さいころからあって、ちょっとだけ駆け下りたら、すっ転んでストン!と尻餅をついてしまった。綺麗な尻餅だったので、キョトンとしてしまった。

しかしおかげで、

参道から外れた山中の石仏に、神主さんが祝詞をあげる姿がみえた。

 

下に降りてきて、最初の参道に戻ったとき、 歩きながら急に夢の中のような気がした。

f:id:ayutann:20171001144748j:image

あっ、デジャブだ。夢で来てたな、高尾山にでも行ったきがすると思って起きた時があったけど、ここの気がする、と思った。

f:id:ayutann:20171001144944j:image

 こうしてファンタジー炸裂の参拝を無事に終えました。

 

 ※まだ神社境内にはいくつも見れなかったところがあり、この参拝記はただ単に個人的ファンタジック日記です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊野から十津川へ〜空の上から吉祥予報〜

f:id:ayutann:20170930172947j:image f:id:ayutann:20170930173011j:image

東京は小雨ちらつく日だった。

 普段は目覚ましなんかかけないので、早起きのためにアラームをセットしたら、いつ鳴るのか気になってねれなかった・・!

 

飛行機からは、綺麗な富士山が。

やっぱり富士山、好きだなあ。登りたいとは思わないけど、、

大きなもので、通り過ぎるのもゆったりと感じる。富士山と目を合わせているあいだは、心が空っぽになる。

 そして、雲には虹色の丸と、その中に乗ってる飛行機がなんかサメみたいに写ってた。

 

空の上より吉祥予報をお伝えします!

本日は良いことがあるでしょう!明日もあるでしょう!

 

そんな感じ。

すでに満足。

 

南紀白浜空港でバスがくるまで30分以上あったので、朝ごはんを食べようと唯一のレストランに入った。朝のメニューは1つだけで、本当はラーメンとか食べたかったなあ。

ここでおばあちゃんに、携帯の使い方を聞かれる。最近は道を聞かれるより携帯の使い方を聞かれる方が多い気がする・・。

 

熊野本宮行きのバスに、空港から乗ったのは、私をいれて3人だった。

空港からしばらくは海沿いを走り、そして街中へ入っていく。うとうとしてしばらくすると、なんか右足くびあたりでサワサワ〜と風が吹くような、そこだけぞわぞわする感じがしたので目を覚ます。外をみると、何とか王子と看板がみえて、熊野古道の近くにきているよう。なんか起こされたみたい。

 

空港から2時間くらいかけて、ようやく本宮大社前に到着した。ここでバスまで3時間あるので、お昼を食べて熊野本宮大社と大斎原をみる。

f:id:ayutann:20170930213144j:image

大斎原(おおゆのはら)の鳥居を裏から。

この日は熊野も小雨で、それがまたよく似合うところだ。霧がかかり煙っている。たくさんのいのちうごめく気配。もののけ姫の世界。熊野は奥深く神秘的だ。

f:id:ayutann:20170930213423j:image

 大斎原は、もともと熊野本宮があったところで、明治の大洪水のあと、いまの場所に移されたそう。個人的には昔、ここで和太鼓奏者の林英哲さんがライブをやり、それを家族で見に来た思い出の場所でもある。

f:id:ayutann:20170930220355j:image

本宮。雨だ。本殿までの階段途中に宝物館があり、なぜかそこにボートが転がしてある。

こ、これはもしや、その明治の洪水の時に関係あるのでは、、と思って見ていると、料亭の板前のような服をぱりっと着たおじいさんがあらわれ、このボートの謂れを教えてくれた。どうやらこれは皇族(常陸宮)のもので、本宮の神主さんが殿下のボート仲間であったのでそのボートを譲り受け、置き場所なくここにこんな形で転がすように置いてあるのだという・・。よくこれを洪水と関係あるのかと思って見ていく人がいるけど違うんだ、と言っていた。そんな、洪水でここまできたなら、そりゃ地球滅亡ですわ、と言って、なるほど謎が解けました!とお礼を言った。

そのおじいさん、本殿前でも一度すれ違っていたけど、その雰囲気と目がめちゃめちゃ透き通って綺麗だなあと思った。

 

f:id:ayutann:20170930221307j:imagef:id:ayutann:20170930221316j:image

さて、バスまではまだ時間があるので、いい感じの喫茶でのんびり。雨だし。

和歌山といえば紀州梅。梅ジュースがとっても美味しかった。梅の身をほぐした木のスプーンをガラスの器に入れると、熱でゆっくりと曇っていくのが綺麗だった。

ハガキを書くことを思いついて、かいてみる。なかなか良い時間になった。

友達のお母さんにあてて、手作りのお皿を頂いたお礼に。

 

そしていよいよ来た十津川行きの最終バス。乗客は、私だけ!

熊野から十津川村までは30分くらい。十津川村は東京都と同じ大きさがありながら、人口は3000人ほどなのだそうだ。

バスの運転手さんは生まれも育ちも十津川で、すごく面白かった。(※と思ったが、実は十津川村に方言はない(十津川は、古くから何故か勤皇の志士が多く、ここだけ非常に標準語に近い言葉になっているそうだ。)ときいて、この方は出身は十津川ではないのかもなぁ、と後から思った。)

お姉さん東京から来たってことは、大学でてるんやろ、エリートじゃな〜、東京の人はあれやろ、やっぱりみんな大学でてるんじゃろ。わしは勉強はさっぱりやな〜

というので、勉強できても心が健康のほうがいいと思う!と言うと、

でもあんまりアホはあかんやろ〜?

と、地元のガキ大将が大人になったような、めちゃめちゃ素朴で明るい太陽みたいなおじさんだった。

それで、毎日十津川の温泉入ってて肌が乾燥するから肌水を数種類ブレンドして使っている、

とか話をきいていると、地元のおじさんが1人乗ってきた。

久しぶりにバスに乗ったらしく、

運転手さんが

「犬、どうした?死んだか?」

「死んだ。12歳やった。」

「ほうか。わしものぅ、四国犬ちゅうのこうての。2匹おってな。」

四国犬か。あぁ、◯◯んとこの犬、紀州犬な、あれよう吠えるな。」

「吠えるな。バスにもよう吠えよる。」

「あれはあかんな。人に食いつきよるぞ。」

「ほんまな。こんなコロ(子犬)のときに食われたわ。」

(※方言はデタラメとなっております・・泣)

と、つづく方言の、その会話にただようものすごい味わい(?)とテンポに聞き惚れてしまった。

私が同じ内容の話を友達としたとして、こんな味はでない。

宮崎駿が、赤ちゃんの仕草をさして「こういうのも文化だから」と言っていたが、私はこの会話をききながら「これも文化だ!」と思った(?)。

なんだか耳に心地いいリズムで会話がぽんぽん続いて、私が喋ったら壊してしまう感じだった。

 

 さて、バス停からは宿の送迎車ですごい山道をとおりながら、温泉宿に到着。

迎えてくれたお宿の方も、すっごく目がきれい!なんというか、自分の内面の素朴さと近しいものを感じた。

どうか、その良さが守られますように。(そして確かに、この宿の方は方言でなく標準語のイントネーションで話されていたので、十津川の方かなぁと思った。)

 

十津川の河の音をききながら、温泉を満喫して眠りにつく。(十津川は温泉もとても良い。)

 一人暮らしして1番かわったのは、どこでも良く寝れるようになったこと。

 

明日はいよいよ神社へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十津川村、玉置神社へのアクセス。

奈良の奥深く、十津川村の温泉にいつかは行ってみたいと思っていたけど、いつかは、と遠くにある感じがしていた。けれど今回奈良の地図を眺めていたら、急に十津川と玉置山山頂の玉置神社が手の届きそうなところとして目の前に迫ってきて、行きたい、と強く思った。

 

何やら調べてみると、玉置神社はかなり山深いところにあり、一説には「(神様に)呼ばれないとたどり着けない」とまで言われている。

「行く。」と私の心は決まっていたけど、友人を3人くらい誘うもたまたまみんな予定が合わず、これは1人で来いよと言われているな、と思った。

 

そしてたまたま、最近通っているお花の先生が神社がとても好きで、玉置神社に行こうとしたことがあるが路面の凍結で車が通れず行けなかったこと、会社の先輩が温泉が好きで以前に十津川行きを計画するも台風で行けなかったこと、を聞いた。

また、2日目に泊まる湯ノ峰温泉の宿に電話をすると、「あの神社は呼ばれないと行けないところですよ」と言われ、さらには十津川温泉から玉置神社までの世界遺産バス(1日一本!)を予約すると、「こちらは雨が多いので、降水量が多い日はバスが通れないこともあります。」と、ますます運試しのような気がしてきた。

 

しかし、神社に聞きたいことがあり電話をしてみると、「どうぞ、お上がりください。」と言っていただき、途端に大丈夫な気がしてきたのだった。

 

計画段階から不思議な予感にわくわくした。

 

しかし現実問題、十津川は遠いのだ。

十津川村奈良県だが、奈良から行くと、吉野の近くの五条というところから、日本で最長の走行ルートなことで有名な路線バスにえんえん3時間も乗ることになる。近畿なのに、東京から9時間くらい移動し続けないと着かない、ディープなところだ。

 

が、和歌山県の熊野からもアクセスできる位置にあるとわかり、そしてこちらのほうがかかる時間は変わらないが楽に行けるルートだったので、熊野経由で十津川に行くことにした。

 

まとめると、このような旅程となりました。

(この行き方にしか、ならない!)

 ※熊野、十津川あたりに流しのタクシーはいません。事前に予約するか、レンタカーか、私のようにバスで移動となります。

 

1日目

羽田(7:25発)→南紀白浜空港(8:30)着

バスで、

白浜空港(9:28)→本宮前(11:50)

本宮前(15:26)→十津川温泉駅(16:03)

十津川温泉行きバスはこの時間しかない。

 

2日目

世界遺産バスは土日のみで、この1本!

十津川温泉(8:45)→玉置神社(9:24)

玉置神社(11:10)→十津川温泉(11:50)

十津川温泉(13:45)→湯ノ峰温泉(14:34)

この日は湯ノ峰温泉泊。

 

3日目

湯ノ峰温泉(8:31)→紀伊田辺(10:15)

紀伊田辺(10:41)→新大阪経由で京都へ。

京都で母と合流し、翌日東京へ。

 

と、この旅程をみてここからの旅行記を読んで頂くとわかりやすいかと思います!

 

つづく。

 

f:id:ayutann:20170927221016j:image

 

 

 

 

 

 

 

ファンタジーという形をとって私の魂の自由が炸裂。

f:id:ayutann:20170926100957j:image

昨日、熊野〜十津川〜京都の旅から帰ってきた。

 

今回は、十津川村の玉置神社に急に行きたくなって、よばれるように行って、無事遊んで(参拝して💦)きた。玉置神社は素晴らしかった。

 

私はまた、はじめてインナー風水太極拳に出会ったときのような、あの不思議な恍惚感をまた味わっている。

充足感、新しい世界がはじまるような、幸せなきもち、なんだかじーんと感動して涙でてくる、悲しいわけじゃなくて、暖かい、

言葉にすると、

「大好き・・」

と、恋しちゃった!!また。

 

いったい何に?神様に?クリスタルに?旅に?

 

神社ですごした、ファンタジックな瞬間に、まさにファンタジーという形をとって私の魂の自由が炸裂した。それでまた自分の感性に恋をした。自分の生き方に恋をする、そんなこともあるのかもしれない。

ファンタジーのはじまりは、感じることを実行することから。「ふと思った」を信じて本当にやってあげた自分への猛烈な感謝。

 

時間は一定には流れていない。

一瞬一瞬、濃度をかえ、凝縮したその一時が、人をぐるっと変えてしまうことができる。

だから子供は急に成長する時がある。大人がまるでワードローブに隠れている一瞬の時、と思う間に、子供たちはその感性でまるで異世界のナルニアに行くような冒険ができるのだ。大人にもそれはある。

 

すべては感性で、時を超える。

 

だから心のままに、自由に生きろよ、それでいいんだよ。

毎日のこつこつと、そして変わる時は一瞬で変わるから、時を待てよ。

 

と感じた。

 f:id:ayutann:20170927221508j:image