かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

西仏の夏休み〜ルルドでの1日 前半〜

朝目覚めて窓の外をみると、明るいけれど、雨上がりの朝靄におおわれていた。




目の前の川はポー川という。源流はピレネー山脈でしょうか。
緑の匂いをかいで、シャワーを浴びて、朝ごはんにいく。

小さなホテルで、朝食会場には私たちのほかにフランス人のご夫婦が1組だけ。
果物コーナーで1本しかないバナナを、フランス人のご婦人がぱっと取ってから、私を見て、「ごめんなさい、1本しかないのに取ってしまったわ!これはあなたのよ、どうぞ。」と言って、譲ってくれた。
そんなそんな!それはあなたのです、と譲りあったけれど、すっごく優しい笑顔で最後まで譲ってくれたので、ありがたく受け取った。
パリから来たとっても穏やかな、クリスチャンらしいご夫婦だった。

雨はあがったかと思いきや、ぐずぐずと降り続いている。そしてけっこう寒い。たぶん12.3度だったんじゃないだろうか。フリースを着てもまだ寒い。

さてルルドとは、まだ200年も経っていないその昔、マリア様のお告げで掘られた場所から湧いた水によって、病気治癒の奇跡がおきたことから、ローマ教皇認定の、キリスト教の聖地である。
そしてスペインのサンティエゴ・デ・コンポステーラをめざす巡礼の中継地として、訪れる人も多いと聞く。
観光で訪れるには、特殊な場所かもしれない。

あまり深く考えていないタチの私がここに来た理由をあえて説明するなら、
「たまたまそこに行った人の話をきいた。不思議なことが好きなので、その水を飲んで見たいとおもった。さらに友人の旦那さんもたまたまルルドに興味があった。」くらいのことだ。

でもどこかで、1つの旅の目的地を決めるという単純そうな事も、その人の日々の中で積み重なった色々な情報が地層のようになって、その選択をする流れになるんじゃないか、という気がする。それはいくら理屈を重ねても、逆に何の理屈がなくても同じ答えになるような、じつは大きな伏線の1つなんじゃないか。と思う。そしていくらダイナミックな事をしたとおもっても、じつはその伏線から出れてはいないんじゃないか(お釈迦さまの手のひらから。)、と思ったり。

雨のため車を中心街の駐車場にとめ、大聖堂へ。シスターとナースをたくさん見る。ここは教会の者と医療従事者がともに白い服を着て祈る場所だ。




インフォメーションセンターにいくと、日本語のガイドがあった。
ルルドは、世界中から人が訪れるので、観光地としてもかなり整備されていたのだった。
いよいよ大聖堂の中へ。

ちょうど時間は昼のミサだった。シスターの間に挟まれ、ミサに参加した。
威厳ある、厳かなミサだった。
賛美歌とお祈りのあとで、隣人にありがとう、と言って握手をする時があった。
照れながらシスターと握手をする。閉鎖的なところにいる方らしい、シャイで素直な笑顔だった。

最後に司祭からパンのかけらに見立てた白いお麩のようなものをもらい、「bless you」という言葉をかけていただいた。あなたのために祈ります、という気持ちが伝わったので、とても心温まった。
素直な気持ちでここに来れて良かったと思った。
私は歩くのが好きなので、少しだけサンディエゴデコンポステーラの巡礼路に興味がある。
巡礼地は、世界中の人に開かれた場所だ。
素直であればただ心温まる場所だ。







このあと、大聖堂の脇にある泉のあと(いまはちょろちょろ水が岩肌からしたたっている)と、採水場を見る。
なんと聖水はいまやとても整備されて、近代的なボタン式の蛇口から取れるようになっていた。水とはいえ生ものなので、私たちはルルドを離れる明日に採水することにする。

大聖堂のすぐ脇にも、まるで伊勢の五十鈴川のように水量豊かなポー川が流れている。
川を挟んで対岸から大聖堂を眺め、通りかかったご夫婦に写真を撮ってもらった。
どこからいらしたのですか?と聞くと、マダガスカルからとの事だった。人生で初めて遭遇したマダガスカルの人だ。今回のルルド訪問は、酸素吸入器が手放せたお礼参りとのことだった。

お水をとる容器を買うために私たちはお土産物屋さんをはしごした。
あまりに寒くて、友達の旦那さんはマフラーなど買っていた。
何リットルも入るプラスチックのタンクから、お土産に最適なウィスキーの小瓶のような大きさのものまで、様々なボトルがあった。
私は小さいのを3つほど買った。

ついでに目の前のカフェでランチをした。寒くてお店をゆっくり選ぶ余裕はなかった。

給食のようなミートソースパスタ!お腹いっぱいになると身体も暖まった。
私たちのあとから、英語もフランス語も話せない、中国のとても田舎から来たような年配のご夫婦がきて、私たちの近くで私たちのパスタを長いことみて、そしてゆび指して頼んでいた。

フレンドリーな店員さんも色々話しかけるが何も通じない。

おじいさんはリュックをしょったままパスタを食べて、店員さんがジェスチャーを使って美味しいかい?と聞くも伝わらず、
おじいさんは中国語で何やら私たちに話してくるけどわからず、「ウォーシー、リーベン(私たちは日本人です)」と言っても反応がなく、
たった一言だけ、私がパスタを指して、「好(ハオ)?」ときくと、「好!」とそれだけ伝わった。

おじいさんも、マダガスカルの人も、私たちも、いったいなんの縁ではるばるここまでやってきたものか、聖地とは不思議なルツボである。

つづく

南仏の夏休み〜ニース最後の珍道中、ルルドへ〜


朝ごはん。昨日の旧市街のビストロでもらったパンも。
今日は、夕方いよいよトゥールーズへ出発する。

というわけで、15時に家を出発するまでの、最後のニースでの半日だ。
朝はゆっくり過ごし、旦那さんは家でのんびりして、友達と2人で観光することにした。

なぜか「では、珍道中いってきまーす」と言って出発したら、その後本当に珍道中?になってしまった。言霊の威力にびっくりした。



あさ、また海へ。
昨日に引き続き、またガラスをあつめる。色とりどりのガラスが集まったら、貼り絵のような何か作れるんじゃないかと、2人で燃え出す。異常に見つけるのが早い私。
私が帰っても、友達が瓶いっぱいのガラスをあつめる姿が浮かぶ。
と、夢中になっていたら、友達がまんまと(?)波に飲まれてしまった!
あ〜〜靴が!!ということで、出て早々に、一度帰宅。(珍道中①)

さて、今度はシャガール美術館に向けて再出発。バス停に向かい歩いていると、見知らぬおばさんに話しかけられた。観光客ではない様子、少しやつれた雰囲気で手には吸入器をもち、何かを訴えているがフランス語が全くわからない。友達は薬局のような単語を聞き取ったようだが、どうやら最終的にはお金をくれないか、と言っているようだと判断して、「No!」と断った。何か相談する素ぶりで話しかけて、よく聞くとお金をくれと言われることがあるらしい。

バス停に着いたがバスは来ず、路線図をよくよく見ると、工事でもあるのかバスのルートか番号が変わっているよう。急な変更というのは、よくあるらしい。とにかくバスは来ないので、少しの距離だがトラムに乗ることにした。
そしてトラムは定刻にきて、まぁまぁ空いている車内にのる。

切符は自分で機械に差し込むようになっていて、それをした後、その機械の後ろに立った。
すると、同じ駅で乗ってきたインド系のような女性が、私に背を向けて前にたった。
空いているのに、切符を機械にいれるような素振りをしながらぐっと身を寄せてくる。
一度は避けたが、また身を寄せてきた。
そのせいで私がじりじり後ずさり、後ろの子どもにぶつかってしまい、「ソーリーマダム、」と声をかけられたので、「ソーリー!」と言っていたら、また前の女性が身を寄せてきたので、いい加減不自然だと思い、はっとした。

私は首から一眼レフカメラと、クレジットカードなど入れた赤いパスケースを下げていた。
はっとして、カメラとケースを右手で持ち上げると、その下には前の女性の手が伸びていた。
まるで痴漢のように!

あっ、この人スリだよ。と友達に話し、ちょっと怒りの目で凝視すると、意味もなく携帯をいじりだし、0123と意味のない番号をうっている。そして白々しく、次の駅で降りていった。
なんだか怒りが湧いた。
何も盗られていないけど、痴漢にあったのと同じ気分だった。(珍道中②)

バスをおりても、美術館までの道はなんとなく不穏な感じがした。1人なのに大きい独り言を言う人とすれ違ったりして。
なんだかニースの裏側に触れたようだった。





美術館は、シャガールの主に宗教画をコレクションしていた。色味に癒される。愛を描いたものの印象が強かったから、これほどキリスト教的な絵を描いていて啓蒙する意識があったことをはじめて認識した。

今夜の目的地、ルルドへの良い始まりのような感じでもあった。

そして、やっぱりシャガールの絵はどこかさくらももこ的(逆か。)と思うのは私だけでしょうか。

美術館を出て、バスで新市街へもどった。
旦那さんと合流して、お昼は簡単にケバブを食べたり、帰って荷造りをして、日本の友達とスカイプをしたりして、いよいよ夕方に。

あっという間のニース滞在はおわり、飛行機でトゥールーズへ。またロストバゲッジしたりして!とか言いながら。1時間くらいで着いたかな。
空港で簡単に腹ごしらえをしている間に日が暮れて、空港でみた夕暮れはとても綺麗だった。
賑やかなニースとは違って、落ち着いた雰囲気のトゥールーズ
レンタカーをかりて、一路ルルドへむかう。

ほぼ満ちた大きな月に見守られて、2時間半ほどのドライブ。途中一度サービスエリアで休憩をして。


ルルドの街に着いた。細い道にお土産物屋さんがならび、もう夜の11時すぎだというのに、お店はあいている。
川が流れ、その川沿いに今夜のホテルがあった。街は暗くて静かで、そしてニースとは打って変わって寒い。ここは山のふもとで、空気がちがう。泊まるホテルは小さく暗く、となりのホテルのエントランスでは4人くらいの白人さんたちが歌を歌っていた。
明るい歌なのに、なんでだかこの街の静けさが余計引き立っていた。

夜に人々が活動しているとはいえ、飲み屋があるわけでもなく、酔っぱらってるわけでもない、観光がメインなわけじゃない、やっぱりミサのあとの人々の静かな高揚感、ホスピス、そういったものを感じさせる、不思議な空気だった。

ホテルの部屋にはいり、寒くてお風呂であったまりたかったけど、疲れてしまって、この暗い部屋も怖くて、すぐに寝てしまった。

あした起きたらどんな景色が見えるんだろう。
と思いながら。

南仏の夏休み〜ニースの一日 エズの夜編〜

高台の村、エズ。
ニースの中心からタクシーで20分くらい。
タクシーはものすごい飛ばして、ニースの街を横断する地下道をぐんぐんはしりぬけて、山をのぼり、高級住宅地を駆け上がりながら、見おろすと青い海にうかぶヨットやクルーザーたちがたくさん見えた。

そしてエズに到着。
旧市街のような、小さな入り組んだ要塞都市のようなところで、
小さなお店やレストランやホテルがひっそりある。




登っていくと、1番上の眺めの良いところにサボテン公園があった。有料。

本当にサボテンがにょきにょき生えている!!なんとも言えない不思議さ。




そしてどれもこれも、痛い!!サボテンめ!(?)こんなに面白い形で、どうしてこんな刺々しいのだ。触りたいのに触れない!





不思議すぎる。トゲの間からサボテンの皮を触ると、しっとりした野菜、という感じ。もっとすべすべ触りたいし食べてみたいのにトゲの存在感がとにかくすごい。これを食べるガラパコスイグアナの口の中はいったいどうなってるんだろう。

眺めがとても良くて、空には雲に覆われて白く見える太陽が、まるで月のように空にあった。
思わず月かと思って、目の前に綺麗にうかぶ丸いものを指して「月だ!」と叫んだ。

すると「あれは太陽よ。(英語)」と誰かが答えた。

↑その時をとったのか?誰かと喋ってる風。

なぜ日本語分かったんだろう?と思っていると、フランス人のご夫婦が、昔日本に住んでいたことがある、と話しかけてくれた。80年代デス、と言ったので、私は80年代生まれです、と話した。そして、太陽は日本語で何というんだっけ?というので、タイヨウ、と教えると、あぁそうそう!タイヨウだね、とにっこり。
なんだなんだ、フランスの人はアジア人に冷たいなんて偏見だ、なんて優しいんだ、と単純な私は思った。

エズの村の中はレストランもあるけど、どこも人気で予約なしには入れなかった。でも村の中は入り組んでいて少々閉鎖的でもあるので、外の開放的なレストランでピザを食べることにした。

ほぼ全席オープンテラスの、レストラン。
広い客席を、4人のたくましいウェイターがきびきびと歩き回っている。
私たちのテーブルは、ポール(仮)が担当だ。
あとはジョン(仮)とスミス(仮)が同じ制服をきていて、サム(仮)はひとりスーツなので、若いけどオーナーなのかもしれない。

あまりにたくましく、あまりに見事な働きっぷりなので勝手に名前をつけてしまった。。
あの重たいお皿をがしっともち、姿勢もよくきびきびと動き、一度に同じテーブルの料理を一気に出すときには4人が集結して、ナイス連携プレイだった。

混んでいたのでやや時間もかかるが、見ているかぎりかなりの肉体労働で、でも素晴らしい笑顔、イラだちや疲れも見せず、見事な働きっぷりだ。日本ではなかなか見れないスポーツ感のある爽快な動きだ。

飲食店の人たちの素晴らしい働きっぷりは、この後もそこかしこで目にすることになる。
そして私は日本でもどこでも、飲食店の人の動きを見るのがすごく好きなのだ。

最後にはサム(仮)にタクシーをよんでもらい、また家へと戻った。ありがとう、ナイスガイたち。

さて、ニース最後の夜である。
明日の夕方にはここを発ち、西のルルドへと向かう。

そしてもうすぐ満月なのである。
友達がドビュッシーをかけてくれた。
染み入った。
気絶するように寝てしまった。

南仏の夏休み〜ニースの1日 午後編〜

無事にスーツケースを手に入れ家に戻った。と言いたいところだが、戻りがてら、アパート近くのブティックが気になり、明日は日曜で今日しかないからと、いくつかハシゴしてしまった。ベロアの可愛いワンピースがあって試着するも、思ったより丈がミニで、少し悩んで買うのをやめた。

そうそう、もし荷物が出てこなかったら、服を買おうと思っていたので、もう目だけはウィンドウショッピングをしていて、荷物が出てきても物欲は残ってしまったのだった!

4軒くらい見てようやく買い物を切り上げ、お家にもどる。
やっと着替えられて、そして日本からのお土産を渡すことができた。

外はかなり暑くなってきた。
これは泳げそう!ということで、ランチを食べに旧市街に行きがてら、海で泳いでこよう、となった。
服の下に水着をきて、出かける。


この広場を抜けると、旧市街。
(泳ぐことを考えてカメラを持たなかったので写真がほとんどない。)

日差しが本当にまぶしくて、サングラスは必須だった。旧市街はとても入り組んでいて、それはこの日差しを避けるためだという。

友人オススメのビストロでランチをした。
初、フレンチ。
テリーヌとか、牛タンのシチューとか。フレンチって、こってりしてる。
紙袋に入れて出される、お代わり自由のパンがすごく美味しかった。周りはパリっと、中はもっちり。

入り組んだ路地に所狭しと色んなお店が並び、アロマやハーブのお店もたくさん、アロマは食べられますよ、と言っていた。
フランス式アロマはメディカルアロマであることを思い出す。食べられるラベンダーのオイルは、少し香りが軽かった。
プロヴァンスのラベンダー満開の時に来てみたい。

かなりの暑さで、アイスを食べながら海に行った。

ニースの海は砂浜じゃなくて玉砂利だ。
たくさんの人が、泳いだり、石の上に寝て焼いたり読書をしたりしていた。

私たちも、海に入る。ビーサンを脱ぐと、石が痛くて痛くて、強力足つぼを施されながら歩いてるようなもので、悶えながら海に入った。しかも波打ち際のほうが石が小さくてまた痛い。クロックスを履いてる人がうらやましかった。波がけっこう強いので、転んでしまったら波に揉みくちゃにされそうだった。というか、揉みくちゃになっているお婆さんがいて、ひやひやしたが大丈夫だった。

海岸から何か叫んでいる人がいると思ったら、遠泳の?レースをしてるようで、続々と選手たちが通過していった。選手たちの行く手を阻まないよう、海水浴客たちに叫んでいたのだった。

暖かな地中海。突如足がつかなくなるくらい深いが、浮いているだけで気持ちいい。
しばし遊んで、水から上がる時もまた拷問のように足が痛くて、しかも波に遊ばれないよう、四つん這いになってなんとか上がった。

海岸の玉砂利の上に寝転ぶ。まるで暖かさも大きさも、スパのホットストーンのようで、すごく気持ち良かった。フランスの人は表も裏もよく焼いていた。

旦那さんの背中がヒリつきはじめたところで、家に戻ることにした。
水着にサングラスでニースの街を家まであるき、ここには私たち以外知る人もなく、浮かれている以外のなにものでもなかった。

とにかく熱い、日差しが刺すように強烈、でも風はさわやかな南仏の気候だった。
歩いてるうちに身体もけっこう乾き、家についても水着のままバルコニーでくつろぎ、浮かれていた。

さてこのあとどうするか、と相談をして、エズという村に行くことにした。
エズは高台にある小さな村で眺めもよく、サボテン公園があるという。
サボテン?!何だか急にそそられてしまい、タクシーで行くことにした。

続く

南仏の夏休み〜ニースでロストバゲッジ 朝編〜

朝目覚めて時計をみると、6時くらいだった。
可愛くしつらえてくれた客室で目覚めたとき、まるでairb&bにいるようだった。昨夜は、真っ白いシーツのソファベットにおかれた友達の愛するマナティのぬいぐるみとともに眠り、目覚めて机の上をみると、ウェルカム!というメッセージとwifiのパスワードが書いてあるのに気づいた。

部屋の中はまだ暗くて、シャッターを半分開けてみると、外は不思議なオレンジ色に染まっていた。
まだ街灯もついていて、南国ぽい植物のはえる花壇の脇を、猫が歩いていた。

さて、荷物どうなるかな。
色々考えていると、交渉事が得意な母マリリンならどうしたかな、とか思い出す。
昨日空港で私は努めて冷静に、必要な事だけ確認して出て来た。英語もそんな得意じゃないから、必要なことを確認するのに精一杯。
もしマリリンなら、、困った!という気持ちも伝えて、スタッフに顔と名前を覚えてもらうくらいのコミュニケーションはとったんじゃないか?(そうすると、後々色んなことがスムーズに展開し始める場面をたくさん見てきた。)

何聞いても「分からない」というスタッフ。決して意地悪さは感じなかったけど、そこまでしか対応してくれないの??日本なら仕事出来ない人だよ、という感じだった。

しかも、私たちは明日の夕方、ニースからトゥールーズへ移動するため、今日か明日にはどうしても受け取りたい。それは伝えるべきだったかなぁ!

ネットで昨日渡された問い合わせ番号で状況を確認するも、まだ荷物は到着していない、というステータスだった。

うむ。とりあえず、後でもっかい空港いってみよう。と心をきめる。

もう眠れなさそうだったので、おきてリビングに出て、外を眺めていると、友達が起きてきた。

お団子頭に、丸いメガネにキャミワンピみたいな、寝起きの姿が可愛いすぎて思わず写真をとる。朝ごはんの支度をしてくれてる姿も盗撮する。笑

だんだんと外が明るくなってきて、思いついた。
「ねぇねぇ、朝ごはんもってさ、海にお散歩に行こうよ!」
となって、旦那さんも起きてきたので、
わいわいと準備して、歩いて5分の海へと向かった。

旅の計画をしていた時、友達が、
ニースでは朝日がみれて、バスクのサンジャンドリュズでは夕日が見れるはず、と言っていたので、楽しみにしていた朝日。

気持ちいい。少し寒いけど、シートをひいて、暖かいお茶を飲んで。いつも友達はたくさんのティーパックをストックしてて、選ぶのも楽しい。pukkaのお茶を飲んだ。昨日の夜ごはんの残りと、スーパーで買ったヨーグルトと、チーズと。




太陽が出てきた。

すごくいい天気。心が広がる。

しばらく波を眺めていると、玉砂利がコロコロいう音がいいんだよね〜と旦那さんが呟く。
そして友達が、あっなんか急に波が小さくなった、潮の流れが変わったのかな、、と言って、ほんとだほんとだ、と波の移り変わりにしばし夢中になった。

泳いでいる人たちがいたので水を触ってみると、冷たい。よく泳げるなぁ〜〜と思いながら足元をみてると、玉砂利に混じって小さな青や緑の丸いガラスのカケラがきらきらしていた。

ガラス拾いに夢中になる二人。

さて、そうこうしてるうちに8時なので、家にもどる。




戻る途中、信号待ちしていると、お花屋さんの前でチャリにのった男性が何やら話しかけてきた。
どうやら、ここで止まっていたら、お花屋さんからふわっといい香りがして、とても良かった!感じないかい?花の香りを、ということを言っていた。
おぉ!分かる分かる!
そんなこと、日本では(私は)見ず知らずの人と共有しようとしないので、コミュニケーションのフランクさに驚き新鮮だった。

とってもいい朝のお散歩だった。

家についてコールセンターに旦那さんが電話を
してくれたが、繋がらなかったので、やはり空港に行くことにして、出発した。

日がのぼると、とたんに暑くなってきた。空港までのバスを待っているとき、犬の散歩をする人をたくさん見たが、足でちょっと蹴って犬を移動させたり、なんか扱いが雑。友達いわく、こちらの人たちは犬を日本のペットのように家族のようには扱わないみたいだ、という。
文化の違いだ、、と感じた。なんとなく犬たちの顔も野性味のある顔かも??

バスに乗ると、まだ冷房がついてなく、だんだんと汗ばんできた。1枚脱ぎ、それでも暑かった。みると汗だくのお婆さんが汗を拭っていたが、たまらず席をたち、運転手さんに何か伝えている。
その後すぐに冷房がはいり、はぁ〜〜助かったぁ、とほっとした。お婆さんと目があってなんか通じたので、「メルシー!」と伝えた。
初メルシー in フランスの瞬間だった。

空港について、昨日のインフォメーションカウンターに行く。男性もひとり一緒になり、あなたも荷物ないの?と聞くと、妻の荷物だけが届かなかったんだ、すごいストレスだよ、と言った。
KLM?と聞くと、どうやら同じ飛行機だったようだ。
「今朝電話がきたからとりに来たんだよ。」
と言った。
電話・・私、来てない。
とちょっと凹む。
けど、なんかもう届いてる気がするんだよなぁ。でも、、電話、来てない。

先にその男性が部屋の奥の小部屋に通され、スーツケースをひいて出て来た。
そしてグッドラック!とウィンクをして去っていった。

・・いいなぁー!!!

次は私の番。3人でカウンターにすわる。
「どうされましたか?」
「昨日荷物が届かなくて、また確認にきました。私のレファレンス番号はこれです。」
「確認します。・・まだ届いていません。」
「いつ届きますか。とても困ります。私は明日トゥールーズにいくので、今日か明日の朝には受け取りたいんです。」
「届いたら連絡しますが、念のためトゥールーズの滞在先の住所を教えてください。」

・・・困る!トゥールーズにだって2日しかいないし、そんなピンポイントで配送できるはずない。

「どうしても今日か明日の朝に受け取りたいんですが。。」
「念のためです。トゥールーズの滞在先を教えてください。」
すると友達の旦那さんが、「本当にまだ荷物は届いていないんですよね?」ときくと、
「だと思いますが、どうぞあちらの小部屋も確認してください。」
と言った。

絶対あそこにある気がする!最初からそれを言ってくれ!待ってました!!
とばかり、小部屋に駆け込むと、やっぱりそこに、私のスーツケースはあった。

「あった〜〜!!!あったよ!!」

歓喜した。やっぱり!!そんなこったろうと思ったよ!!
もう気分は無敵だ。

なんでステータスがすぐに反映されないのか?スタッフもいま引き取り手のない荷物と、問い合わせ情報を付き合わせないのか?
謎!
でも、おとなしく待たなくて本当に良かった!!
「念のため」なんかに付き合わなくて良かった。

心底ほっとして、朝9時半ごろ、空港を後にした。

バスの中で旦那さんが、「すごいよあゆたん、旅程に一切影響ない。」と言った。

ほんまや!!

この日は午前中、旧市街を散策する予定だった。問題なし!

バスの中で、KLMからのメールが届いた。
「手荷物紛失について申し訳ありません。届いたらすぐにご連絡します。」

もう受け取りましたから!!

問題は解決し、問題の間も2人のおかげで素晴らしい時間を過ごし、全く何の影響もない、旅の思い出のネタが出来て経験値アップ⤴️となった。



続く。

南仏の夏休み〜ニースでロストバゲッジ編〜

友人夫婦が、今年の春からニースに3年間住むことになり、9月の終わりに遊びに行きました。
引越しのゴタゴタがおわり、家具も揃い、ようやく生活が整ったとのことで、夏休みの終わりを一緒に過ごすことができた。

イギリス、アイスランドに続き、今年の待ち合わせ場所はニースに。
彼女だからどこでも安心して会いにいくし、私だからどこに居ても来てくれるだろう、というコンビネーションになりつつある。

彼女は調べるのが得意。私はその場で決めたり、行き当たりばったりが得意。そして冒険したいとこと慎重になりたいとこが似てる。そんなとこも良いのかもしれない。

飛行機はKLMでアムステルダム乗り換え、ニースまで15時間ほど。
アムステルダム乗り換えは3度目なので安心だった。






乗り換えの時、オランダの人たちの背の高さにびっくり。そして男性は顔立ちも整ってかっこいい。眺めていたい!そして必ず「コンニチワ」と声をかけてくれる親日的な雰囲気。乗り換え時の手荷物チェックでペットボトルは没収かと思いきや、検査機を指して「new technology」と言い、没収されず。テクノロジー万歳!(?)

掲示板に自分の乗る次の便が表示されていないといつもドキっとするけど、聞けば教えてくれる。

早めにゲートに行くと、ニース行きの便は30分ほど遅れると分かった。
なんとか時間をつぶして小さい飛行機に乗り込む。CAの男性は、カフェのギャルソンのようなカッコ良さ。
すっごいテンションの高いロシアの団体さんがいて、無事ニースに着陸した瞬間には、「メリークリスマス!!」と叫んでいた。

ニースに到着。現地時間、19時ごろ。

wifiを繋ぐと、友達がロビーですでに待っていると分かった。手荷物を待つ。
あのテンションの高いロシア人のひとりが、荷物に混じってレーンに乗って回ってきたのには驚いた。はしゃぎ過ぎ!
そして、待てど暮らせど私のスーツケースは出て来なかった。
あのロシアの団体さんもいなくなり、同じ飛行機だった人たちは去り、いまやレーンの横には私と、車椅子のお婆さんが1人。

お婆さんの横には空港のスタッフがついて、お婆さんが銀色の立派な杖で指し示す荷物を、スタッフがレーンから降ろしていた。

「あの〜、荷物はこれで全部ですか?私のがまだ来ないんです。」というと、あそこのインフォメーションカウンターに行って、と教えてくれたので、そちらに行く。

すみません、というと、「はい、マダム。」と言われ、(良かったちゃんとマダムと言われた。。)と思う。

私の荷物が出てきません、と言って預けた荷物のバーコードを渡すと、「調べますね。・・まだアムステルダムにあるようです。こちらに来てください。」と言われ、機械の前へ。私の情報(ロストバゲッジ)が登録される。
乗り継ぎの時に積み忘れられたようである。

どっか違う国に飛んでいったわけではなかったから良かったけど、なぜ??!
「次のフライトで運ばれます。」
「次のフライトはいつですか?」
「分かりません。今夜かもしれないし、明日かもしれません。」
なぜ??なぜ分からないの?20時くらいにもアムステルダム→ニース行きの便あるんだから、それに乗せてよ!明日とか言わないで。

と、思いつつ、スーツケースの色は?とか、日本の住所とか、滞在先の住所、電話番号など聞かれる。見つかったら配送するから、と。
友達に電話すると、フランスの配送はアテにならないから、空港に取りに行ったほうがいい、とのこと。

私は空港に取りに来ます、と伝えると、ロストバゲッジの問い合わせ番号と、カスタマーセンターの電話番号を渡され、届いたら電話するし、何かあったらここに電話してくれ、と言われた。

このカスタマーセンターは何時から電話が通じるのか?ときくと、「分からない。8時くらいじゃないか。」と言った。なぜ?なぜ分からないの??

と思いながら、とにかく次の20時の便に乗せてきてくれ!と思い、今できることはないのと、とりあえずは友人がいるので何とかなるだろうと思い、ゲートをでた。最後にスタッフは申し訳程度の、ポーチをひとつくれた。

いやいやいや参ったね〜〜と、言いつつも、とりあえず再会は嬉しい。

空港からバスで海岸沿いにでる。
新市街でバスを降りる。
まっすぐな海岸沿いの道。あぁ、ニース!!
映画で見たようなところだ。もうシーズンの終わりだけど、まだ少し音楽はかかり、踊る人たちがいる。
月が海を照らす。閉じられたパラソル。カジノの灯り、はしゃぐ人たち、広い白い道、薄着の人々。




どこのレストランも賑わっていた。
友人宅は新市街にある。

お家につくと、友達らしさ溢れる空間にほっとして、そしてスープやサラダやご飯を作って待っていてくれた。
あぁ、楽しい嬉しい。疲れなんか消えた。
私も今回のお土産を披露したかったけど、それはスーツケースの中。

お家は白い石?タイル?の床で、ぺたぺたあるくのが気持ちいい。さわやかで気持ちいいけど、イギリスほど乾燥もしてない。

お家を色々見せてもらい、ご近所さんの話しなど色々きいてほっこりして、空港でもらったポーチを開けてみると、透けるほど薄い白のTシャツと歯ブラシとカミソリと石鹸が入っていた。
パンツと靴下も入れてほしい。

最低限はリュックにあるので、あとは友達にかりて、気楽な気持ちで寝た。

たぶん明日には出てくると思うなぁ、と思いながら。

蒸しつ蒸されつ。

女性は毎月ホルモンバランスがいれかわり、常に波の中で生きている。

そのため、身体が冷えやすい時期、むくみやすい、滞りやすい時期と、行動的になれる時期があって、心と身体はいつも絶妙なバランスをとりながら、この波を繰り返している。

体感をみながら、ここぞ!という自然な時に温めておくと、その波に乗りやすい。

毎月毎月、その波のコンディションも違うけど、どうしてこうもきっちりと寄せては引いての波を身体が起こせるのか、宇宙と同じくらい不思議だ。

その「ここぞ!」に、私はハマム浴か酵素浴に行くのが好きです。
蒸気で蒸されるか、酵素で蒸されるか、どちらも汗を大量にかく。汗をかくと爽快だ。

運動では得られない汗のかきかたができる。

ハマム浴は木の葉型のベットの上にねてタオルでドーム状に覆い、ベットの下でたくさんのハーブをスチームして、その蒸気で蒸される。
30分でかなり汗をかく。蒸しあがりはよい香りでしっとりふっくらだ。

一方酵素浴は、米ぬか酵素や、ヒノキの酵素などが敷きつめられた四角い箱の中に寝て、その酵素に埋められる。砂風呂みたいな感じだ。
希望すれば、顔にも酵素をかけられて、鼻だけだして生き埋め状態になる。
すごく熱いので、5分ほどでもう額に汗がふきでる。

私はハマムを先に経験してから、酵素浴を体験したけど、はじめて酵素風呂に埋まったとき、猛烈に気づいたことがある。
それは、「しまった、閉所恐怖症だった!!」ということ。

あのずっしりとした重さが乗りかかり、目も見えなくなって、係りのお姉さんの気配が消えたとき、「・・・(きゃあ〜〜〜〜!!!)」と恐怖心が湧き上がってきて、心臓がバクバクしてしまった。
耐えられなくて「す、すいませーん!!」と言っても誰もいなかったので、ハムナプトラの妖怪みたいに(そんなのいなかったかな?)、自力で酵素をはらいのけ、冷静を取り戻した。

そんな出会いだったけど、何度か繰り返して、「酵素薄めにお願いしま〜す」とオーダーもするようになって、慣れつつある。
酵素の威力はものすごいので、入った後は30分くらい休憩が必要。)

そして今日は、久しぶりにまたハマムへ行ってきた。

酵素で修行した私は、余裕な気持ちでハマムに入った。あの生き埋めの恐怖に比べたら、全てが穏やかなハマムよ。
もう酵素には行けないかもしれない、、と思いつつ、たっぷり30分蒸された。
心臓にも優しい・・。

すっきりして家に帰ると小腹がすいたので、蒸篭を取り出し、ジャガイモを蒸した。
蒸篭は去年からハマっていて、蓋をあけたときにたつ湯気と、蒸篭の木の香りはたまらない。

暖かく、幸せな香りがする!!
あぁ〜〜幸せ❤️という香り。

蒸されて帰ってきてイモを蒸す。

蒸すのも蒸されるのも、どちらもやめられない。