かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

西仏の夏休み〜最後はラ・リューヌとベアリッツ〜

バスク最後の日は、いくつか他の町に立ち寄って、トゥールーズまでもどることに。そして翌日トゥールーズからのフライトで帰る。

まずは、ラ・リューヌの山頂へ!
その山は、バスクに着いたときから気になっていた、なんでか惹かれたあの山である。

宿泊した部屋のベランダからもくっきり見えて、この日の朝、あそこに行きたい!!と訴えたのだった。笑
調べると、それはピレネー山脈のはじで、山頂はスペインとフランスの国境になっている。
サンジャンドリュズから車で2.30分くらいと近い。登山鉄道で山頂まで行ける。


恐竜の背のような峰が続く。




頂上は絶景。


大人しいポニーがいる。

首に鳴り物がついてるので、草を食む動きに合わせて、カランコロンとのどかに音が響く。
高いところは曇りなくとても清々しい。

午後は鉄道もシェスタに入ってしまうので、その前には降りた。

お昼は再びサンジャンドリュズにもどりランチをして、

(本日のお魚プレート。)

こんどはサーフィンのメッカという、ベアリッツへ!


ここではエスパドリーユという、バスク発祥のサンダルを買いたい!ということでやってきた。

ベアリッツはヨーロッパ随一のサーフスポットということで、サンジャンドリュズよりも人口が多いし若い人も多い。可愛いトレーナーとサンダルもゲットしました!(ビーチでしいたバスクリネンと。)

サンダル屋さんでは、日本に留学して来年から日本で働くというフランス人の女の子がアルバイトしていて、
「えっ、日本の方ですか?びっくり!日本人きたのはじめてですよ〜!」と日本語で接客してくれた。

バスク柄のバス


カフェで休憩。

お土産も物欲もやりきった!おばあちゃんにはルルドの聖水、お母さんにはバスクのテーブルクロス、お父さんにはベアリッツのトレーナー、会社には元祖マカロン。すごい達成感。

バスクはご飯も美味しいし、お買い物も楽しい。まだまだ時間をかけたかったけど、かなり満喫できました。

ここから、トゥールーズまで車で移動!
かなり駆け抜けたラストデイ。
サービスエリアでサンドイッチをかじり、夜11時ごろようやくトゥールーズの町に着いた。かとおもいきや、道路が予告なしに封鎖されていて、高速から降りられないというハプニング。

何度もカーナビを修正して、下道におりてもぐるぐる回って、こっちも封鎖、迂回路の矢印を追っていくとまた元に戻らされる、など、真夜中の迷宮入りハプニング!

ホテルのチェックインは0時まで、間に合わないかも!!という事態に。

こういう時は最悪の事態を想定してみると、
車で野宿して、明日の朝、空港にはなんとしても辿りつかなきゃ、という結論に。
車で寝る覚悟をするとドキドキが少し落ち着いたけれど、なんとか0時前ギリギリにはホテルに着くことができた。

最後の最後まで、味わい深い旅となりました。

西仏の夏休み〜サン・ジャン・ドリュズとサン・セバスチャン〜

目が覚めたら玄関で音がしたので見てみると、友達が朝散歩に行くところだったので、寝起きのすっぴんで便乗した。
疲れがとれているのは、昨日の夜のレストランで食べたにんにくたっぷりのタパスのおかげだ。

にんにく臭を振りはらいに、海まででる。





まだ寒い。スーパーによって、自ら機械でオレンジを絞って作る、フレッシュオレンジジュースを買って帰った。
部屋に戻ってジュースを飲もうとすると、すべての瓶にまんべんなく小さな虫が2匹ずつくらい入っていた。ひえ〜〜!
オレンジを絞る機械の上のカゴにはオレンジがどっさり入っていて、ボタンを押すだけで自動的に絞られる機械だったけど、カゴには蓋も何もないので虫もがんがん入ってしまうようだ。
そういえば街中でよくハエをみた。部屋にもぶんぶん入ってきていたし。

今日は友達の旦那さんはのんびりやすみ、女子2人は買い物にいそしむことにした。
バスクシマシマ柄のカラフルな布が有名なので、ランチョンマットやテーブルクロスをわいわい吟味して、私はビーチにしく黄色とグレーの大きな布を買った。




朝から熱心に物色し、マーケットでたくさんお惣菜を買って、行列の出来ているパン屋にもならんでわいわい選んでいたら、前にいたフランスマダムが何やらフランス語で「どれもこれも美味しいわよ」と言ってくれた。




まだまどろんでいる友達の旦那さんにお土産としてお惣菜と好物のパンオショコラを買って帰った。

まだまだ物欲おさまらぬ私たちは、あれ買う?やっぱやめる?あっちにもまだ見てない店が、などと話し合い、やや旦那さんに引かれていた。

だんだんと陽が強くなり、気づけばすっかり泳げそうな夏日になっていた。折しも午後は2時半ごろまでどこのお店もシェスタに入ってしまうとのことなので、私たちもここぞと水着に着替えてビーチにくりだした。

さっき買ったビーチ用のリネンを広げて使う。
買ってよかった!さっそく使う爽快さ。リネンの肌ごこちがとっても良い。
ニースとは違って綺麗な砂浜で、なんとか日陰を確保できた。もうシーズン終わりなので人は少ないけれど、まだトップレスでがんがん焼いてる人もいる。

海は凪で穏やか、砂はさらさら、そして水はものすごぉーく冷たかった。日差しは夏日とはいえ、海水はもう秋。それでも外人さんたちはゆっくりゆっくり泳いでいて、私たちもかなり時間をかけて少しずつ少しずつ海につかった。
透明な水の下には小さな魚たちが泳いでいる。
なんとか肩まで入り少し泳ぐも、ときおり温い海水と、冷たい海水が交互にきて、ひやっとする。まるで水風呂。
それでも波が穏やかなのと、空が抜けるように綺麗なので気持ちよかった。

暖まりにまた浜辺へ。ごろごろのんびりする。
外人のすごく日焼けしてる年配の人たちは、もう肌がシワシワでシミもすごい。でもスタイルよく姿勢よく、お婆ちゃんもビキニを着てすごくかっこいい。自分のぽっこりしたお腹と丸い背中をふっと伸ばしたくなった。そして、金髪にオリーブグリーンの水着はとても映える。綺麗だなぁとしみじみ見てしまう。だまってしみじみと、ごろごろした。

午後は、この旅で1番お気に入りのエピソードがある。(やっと書ける^_^)

ふたたび買い物にくりだして歩いていると、落ちてきた鳥の糞が友達の腕にぽとりとついた。
「あっ!!糞が!!」
と、ちびまる子ちゃんのように2人でガーン!としていたら、通りすがりのとても上品なマダムが、自分の首もとにまいていた綺麗なピンクのストールでためらいなく拭こうとしてくれたので、私たちはno!no!(ストールが汚れます!)といって、ウェットティッシュを出した。
するとマダムは、何かフランス語で、
「運がついたのよ〜♪」という雰囲気の明るいことをジェスチャーとともに歌うように言って去っていった。
鳥の糞が、いっきに素敵な思い出になってしまった。


バスク柄のランチョンマット。
そしてもうひとつ、サンジャンドリュズの名物といえば、元祖マカロンである。

サンジャンドリュズは、かの太陽王ルイ14世が結婚式を挙げた街だそうで、その時に献上した元祖マカロンだそうだ。いまのカラフルなマカロンとは別物だけれど、素朴なしっとりクッキーで私はけっこう好みだった。


夜はスペインバスクのサンセバスチャンにピンチョスを食べにいった。車で1時間ほどの距離なのだ。




サンジャンドリュズより都会だ。

スペインの人は8時くらいまではピンチョスをつまみに飲み、夕食は9時〜10時ごろなんて話も聞いたけれど、これだけのつまみを食べたらお腹もいっぱいだ。




二軒はしごした。好きなだけお皿にとって、レジでお会計をして席にいく。値段はそれぞれ違うので、店員さんにきけば教えてくれる。
どれもこれも美味しかった。ただただ海老を焼いたやつでさえ、美味い。

ピンチョス屋さんで隣の席になったマダムが日本人離れした日本人で、イギリス人の大人しい旦那さんと、年の半分はアリゾナで、あとの半分はエジンバラに住みながら、旅歩いているという。スケールが大きくて、そんな暮らしの人が本当にいるんだなぁ、、と思った。
ここサンセバスチャンではただいま映画祭をしているらしく、それに行くのだと言っていた。
優雅な暮らしの中にも、暇を持て余すような感じも見えなくはない。旅ってなんだろう?豊かさってなんだろう??
色々な刺激を受けた。

ピンチョスは、美味しい!もしかして、スペインバスクの方がフランスより美味しいかも??と予感しながら、最後はレストランにも入ってみた。




ホワイトアスパラガス、アンコウのフリット
美味しい。
写真はないけれど、フキのような野菜の煮込みも優しい味で美味しかった。
間違いなく、スペインのごはんは美味しい!と確信。

スペイン語も分からないけど、不思議とぜんぶ通じあって、とっても気のいい人たちだった。
こちらはずっと日本語で、店員さんはスペイン語で、
あ(日)「あれ?これで終わりだっけ」
店(独)「まだお肉がありますよ」
あ(日)「あっそうだ、お肉でしたよね」
店(独)「そうです。お皿をさげますね」
あ(日)「ありがとうございます」
店(独)「これ、トイレに忘れませんでしたか?」
あ(日)「あ!私のサングラス!すいません〜」
という感じで。笑

人生初のスペインはとても良い時間。

そして駐車場に戻ると、なんと、
車のボンネットを開けて、小さな子猫を撫でている人たちが。
友達いわく、ボンネットの中は暖かいので、よく猫が入り込んで寝てしまうらしく、発車まえにボンネットをバンバンたたく、「ネコバンバン」という習慣があるのだとか・・。(本当??)
あの猫はネコバンバンの結果、助かったのではないだろうか・・?
と通りすがりに思ったのだった。

西仏の夏休み〜ルルドからバスク地方へ〜

(だからもう冬だって!!(><)
年内に書き終わりたいところです。)

9月末某日。

翌日はまぶしいほどの晴れ。




ポー川は変わらず水量豊かに流れ、どこから流れてきたのか大きな倒木が横たわり、川の真ん中で水の流れに耐えている。

まずは今朝も大聖堂に向かい、お水をすこしだけ頂き、お土産にも汲ませていただいた。水はまろやかな軟水で、美味しい。せっかくなので全身を洗われるような気持ちで飲んだ。イマジネーションは作用するのである。爽やかな心持ち。

昨日かいた絵はがきも投函した。切手は教会敷地内の売店でベルナデッタさんの顔写真のデザインのものを買い、ついでに置物やらキャンドルやら、充実したグッズにお財布もゆるんでしまった。(ハガキは20日後くらいに日本に届いた。)

ウィスキーの小瓶のような入れ物で、気にいった。

いよいよ今日はバスクへと向かう。
奇跡の泉から遠ざかり、ルルド湖の見渡せるレストランでランチをした。

オレンジソースで食べる鴨肉が美味しかった!

ルルドで1番美味しいお店なんじゃないかと思ったので、珍しくリンクなど貼ってみる。
ちなみに夜は予約がとれなかったので、ランチを狙ってきてみて正解だった。ここは美味しい。
https://www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g187171-d3411120-Reviews-L_Embarcadere-Lourdes_Hautes_Pyrenees_Occitanie.html

さて、お昼すぎから西へひたすら走る。ほんとに運転してもらえるってありがたい。トウモロコシ畑ののどかな風景が車窓を過ぎて行く。
BGMにシュミットをかけさせてもらった。はじめてシュミットの曲を聴いてから、いつもこういう陽だまりののどかな景色が感じられていたので、念願叶った瞬間だった。

遠くには大きな山並みがみえはじめ、ピレネー山脈だろうか、ひとつとても気になる形の山があった。

遠くてうまく映らないけれど、何かすごく惹かれるものがある。どことなくクレーターぽいから?アイスランドでクレーターを見たときとってもトキめいた。何でかわからないけど月面のようなあの形にトキめくもので、そのトキメキと同じものを感じたのか、よく分からないけど興味をひかれるあの山。ひときわ映えて見えたので、記憶にとどめておいた。

ぽつぽつと家やお店がみえはじめ、車は街中に入っていく。
夕方日没前にはサン=ジャン=ド=リュズへ着いた。

ルルドとはまた違う世界の、海辺のリゾート。
この辺りをバスク地方と言い、スペインとフランスにまたがる幾つもの村の総称で、スペインバスク、フランスバスク、と区別されたりする。ここはフランスバスクだ。
バスク語があり、文化的にも独立した特色をもつ地方で、有名なバスク人といえば、フランシスコ・ザビエルだそうだ。

80年代に司馬遼太郎が「街道をゆく」でバスクについて書いており、日本でも脚光を浴びたという。




空気は冷たいのだけれど思い切り晴れている。海辺の開放的な雰囲気、白いたてもの、砂浜、強い光。




ピンクの立派なグランドホテルの裏はもう海で、私達はそのとなりのゲストハウスのお部屋に泊まった。グレゴリーという管理会社の人?は待ち合わせ時間に遅れることなく現れ、鍵を開けてくれた。3LDK(3ベッドルーム3バスルーム)の豪華なお部屋だった。

ここバスクは美食の街としても有名で、夕食はレストランが並ぶエリアで、初スペイン料理・パエリアを食べた。美味しかった!




ここでも夏木マリのような美人の店員さんが対応してくれた。シルブプレとか、ジュブトへ、(注文するときのフレーズらしい。)とか、片言のフランス語を駆使していたら、
「はいはい○○ね、ん??あぁ!ジュブトへって言ったのね、○○かと思っちゃたわ!ごめんごめん!」と、フランス語なのになぜか言ってることが分かってしまった。

日本人は珍しいのか、他のお客さんたちも片言の日本語で話しかけてくれたり、気さくで嬉しかった。フランスって、もっと冷たい国だと思っていたのに。田舎だからかな?アジア人が少なかったので、珍しいのかもしれない。


タイルもスペイン風。

ザ・観光地のニースから、閉鎖的なルルド、そして穏やかで開放的なバスクにきて、かなり心地よい街だと思った。落ち着いた年配の人の多いリゾート地だ。


ひとり一部屋ずつ贅沢に使って、今日は早めに寝た。

西仏の夏休み〜ルルドでの1日 後編〜

もう12月だ、昨日は箱根で初雪に遭遇したのに、夏休みの記事を書く。

続き。
(9月後半のこと。)

ルルドはたくさんのお土産物屋さんがひしめいているので、私たちはしばらくの間飽きることなく買い物をした。ルルドTシャツや聖水入れ、エンジェルやマリア様の置物、シスターたちの手作りお菓子などなど、キャッチーなラインナップが豊富で、聖地らしからぬ物欲が刺激されてしまいました。

それにしても寒くて、だんだん体温が下がり動けなくなってきたので、喫茶店で暖をとることに。

ショコラショー、はホットチョコレイト。
甘いもので暖をとる。

オーダーをしようとおじいさんの店員さんに声をかけると、「ちょっと待って、いまこれやってるから、その後で行きますからね。」とカトラリーを拭きながら明るく言った。

なんとなく、こちらの飲食店でのペースの違いが見えてきた。
日本のようなお客さま第一!というのとも少し違って、お客さんも待つのは当たり前と受け止めている。お互いに気持ちに余裕を持っているのを感じる。リラックスしながらもきびきびしていたり、時間はかかっても明るい会話があったり、触れ合いがある。
東京て、いつもどこかで無言の緊張感やプレッシャーがあって、急かされてるような気がする。

のんびりお茶をした。
しかし寒いものであんまり歩き回りたくもなかったので、この後は夜のミサにいくために、いったんホテルで夕方まで休むことにした。
部屋に戻ってニースのシャガール美術館で買ったハガキなど家族にあてて書いてみる。
旅先でのハガキて、とりとめなくて、小学生みたいな文章になってしまう。
私はここにきて少し疲れがでてしまい、一瞬のうたた寝をした。

日が暮れて、まずは夕食をとりにレストランにいった。
どこもこの時間は混んでいて、予約していなかったけれど何とか座ることができた。

店内には、何かの制服を着た人や、キャンドルを持つ人がいて、みなこの後のミサに行くようだ。ここではみな同じ目的で動いているのだ。

夜はだれでもキャンドルを買って参列できるようだけれど、私たちは昼のミサにも参加したので(その時に存分に祈り倒してもう満足していた)、夜は見学することにした。

さていよいよ大聖堂の前の広場にいく。近づくにつれだんだんと人が増え、広場ではすでにキャンドルを灯しているひと、買うひと、待ち合わせの人などたくさんいて、まるでお祭りの前のように、少し気分が高揚するようなこれから何かが始まるね、というムードが漂っていた。

キャンドル隊は徐々に長くなり、いよいよ広場をぐるっと練り歩きだした。先頭ではなにか大きな声で言っている。歌を歌ったり、何かを唱えたりしていて、暗闇のなかその声が響く。声に合わせてキャンドルを上げたり下げたりして、ゆっくりゆっくり歩きながら、どんどんその人数は増えていく。

隊列の先頭がぐるっとこちらに向いた。司祭が歩き、マリア様の像をお神輿のような台に乗せて先導している。昼間は聖堂の綺麗さに気がまぎれていたが、夜のこのミサはなぜか宗教色を
強く感じた。暗闇の中、大きな号令で大勢がいっせいに同じことをしているからだと思う。




聖堂のうえから眺めたキャンドルの隊列。車椅子の方たちも並ぶ。健康を願い、心の平和を願い、最後の最後にここに辿り着く人もいるのかもしれない。

遠くを見れば、お城の壁にはプロジェクションマッピングがされている。マリア様のお告げをきいたただ1人の少女、ベルナデットの顔や、トリコロールなどが映る。
祈りの場所は立派な観光地でもあり、不思議な栄え方をしていた。
(ミサを眺める人のなかに、お昼に会ったあの中国のおじいさんもいた。よい旅を!と思った。)

折しもこの夜は満月で、大きな月がミサとプロジェクションマッピングと、私たちを照らしていた。山あいの寒いこの小さな町の上に、静かに輝いていた。

ミサを最後まで見届けて、ホテルに戻りお茶をした。なんとなく気持ちは静かに高揚していた。もう11時を過ぎるくらいで、夜までお茶を飲みながらなんとなくお喋りを続けるのは楽しい。昨日の夜ルルドに着いたとき、外で歌っている人たちがいたけど、いまの私たちも少しその気持ちがわかる。川の流れと雨の音しかしない静かな所だけど、あのミサのあとの少しばかり高揚した気持ち、これを聖地ハイと名付けた。

西仏の夏休み〜ルルドでの1日 前半〜

朝目覚めて窓の外をみると、明るいけれど、雨上がりの朝靄におおわれていた。




目の前の川はポー川という。源流はピレネー山脈でしょうか。
緑の匂いをかいで、シャワーを浴びて、朝ごはんにいく。

小さなホテルで、朝食会場には私たちのほかにフランス人のご夫婦が1組だけ。
果物コーナーで1本しかないバナナを、フランス人のご婦人がぱっと取ってから、私を見て、「ごめんなさい、1本しかないのに取ってしまったわ!これはあなたのよ、どうぞ。」と言って、譲ってくれた。
そんなそんな!それはあなたのです、と譲りあったけれど、すっごく優しい笑顔で最後まで譲ってくれたので、ありがたく受け取った。
パリから来たとっても穏やかな、クリスチャンらしいご夫婦だった。

雨はあがったかと思いきや、ぐずぐずと降り続いている。そしてけっこう寒い。たぶん12.3度だったんじゃないだろうか。フリースを着てもまだ寒い。

さてルルドとは、まだ200年も経っていないその昔、マリア様のお告げで掘られた場所から湧いた水によって、病気治癒の奇跡がおきたことから、ローマ教皇認定の、キリスト教の聖地である。
そしてスペインのサンティエゴ・デ・コンポステーラをめざす巡礼の中継地として、訪れる人も多いと聞く。
観光で訪れるには、特殊な場所かもしれない。

あまり深く考えていないタチの私がここに来た理由をあえて説明するなら、
「たまたまそこに行った人の話をきいた。不思議なことが好きなので、その水を飲んで見たいとおもった。さらに友人の旦那さんもたまたまルルドに興味があった。」くらいのことだ。

でもどこかで、1つの旅の目的地を決めるという単純そうな事も、その人の日々の中で積み重なった色々な情報が地層のようになって、その選択をする流れになるんじゃないか、という気がする。それはいくら理屈を重ねても、逆に何の理屈がなくても同じ答えになるような、じつは大きな伏線の1つなんじゃないか。と思う。そしていくらダイナミックな事をしたとおもっても、じつはその伏線から出れてはいないんじゃないか(お釈迦さまの手のひらから。)、と思ったり。

雨のため車を中心街の駐車場にとめ、大聖堂へ。シスターとナースをたくさん見る。ここは教会の者と医療従事者がともに白い服を着て祈る場所だ。




インフォメーションセンターにいくと、日本語のガイドがあった。
ルルドは、世界中から人が訪れるので、観光地としてもかなり整備されていたのだった。
いよいよ大聖堂の中へ。

ちょうど時間は昼のミサだった。シスターの間に挟まれ、ミサに参加した。
威厳ある、厳かなミサだった。
賛美歌とお祈りのあとで、隣人にありがとう、と言って握手をする時があった。
照れながらシスターと握手をする。閉鎖的なところにいる方らしい、シャイで素直な笑顔だった。

最後に司祭からパンのかけらに見立てた白いお麩のようなものをもらい、「bless you」という言葉をかけていただいた。あなたのために祈ります、という気持ちが伝わったので、とても心温まった。
素直な気持ちでここに来れて良かったと思った。
私は歩くのが好きなので、少しだけサンディエゴデコンポステーラの巡礼路に興味がある。
巡礼地は、世界中の人に開かれた場所だ。
素直であればただ心温まる場所だ。







このあと、大聖堂の脇にある泉のあと(いまはちょろちょろ水が岩肌からしたたっている)と、採水場を見る。
なんと聖水はいまやとても整備されて、近代的なボタン式の蛇口から取れるようになっていた。水とはいえ生ものなので、私たちはルルドを離れる明日に採水することにする。

大聖堂のすぐ脇にも、まるで伊勢の五十鈴川のように水量豊かなポー川が流れている。
川を挟んで対岸から大聖堂を眺め、通りかかったご夫婦に写真を撮ってもらった。
どこからいらしたのですか?と聞くと、マダガスカルからとの事だった。人生で初めて遭遇したマダガスカルの人だ。今回のルルド訪問は、酸素吸入器が手放せたお礼参りとのことだった。

お水をとる容器を買うために私たちはお土産物屋さんをはしごした。
あまりに寒くて、友達の旦那さんはマフラーなど買っていた。
何リットルも入るプラスチックのタンクから、お土産に最適なウィスキーの小瓶のような大きさのものまで、様々なボトルがあった。
私は小さいのを3つほど買った。

ついでに目の前のカフェでランチをした。寒くてお店をゆっくり選ぶ余裕はなかった。

給食のようなミートソースパスタ!お腹いっぱいになると身体も暖まった。
私たちのあとから、英語もフランス語も話せない、中国のとても田舎から来たような年配のご夫婦がきて、私たちの近くで私たちのパスタを長いことみて、そしてゆび指して頼んでいた。

フレンドリーな店員さんも色々話しかけるが何も通じない。

おじいさんはリュックをしょったままパスタを食べて、店員さんがジェスチャーを使って美味しいかい?と聞くも伝わらず、
おじいさんは中国語で何やら私たちに話してくるけどわからず、「ウォーシー、リーベン(私たちは日本人です)」と言っても反応がなく、
たった一言だけ、私がパスタを指して、「好(ハオ)?」ときくと、「好!」とそれだけ伝わった。

おじいさんも、マダガスカルの人も、私たちも、いったいなんの縁ではるばるここまでやってきたものか、聖地とは不思議なルツボである。

つづく

南仏の夏休み〜ニース最後の珍道中、ルルドへ〜


朝ごはん。昨日の旧市街のビストロでもらったパンも。
今日は、夕方いよいよトゥールーズへ出発する。

というわけで、15時に家を出発するまでの、最後のニースでの半日だ。
朝はゆっくり過ごし、旦那さんは家でのんびりして、友達と2人で観光することにした。

なぜか「では、珍道中いってきまーす」と言って出発したら、その後本当に珍道中?になってしまった。言霊の威力にびっくりした。



あさ、また海へ。
昨日に引き続き、またガラスをあつめる。色とりどりのガラスが集まったら、貼り絵のような何か作れるんじゃないかと、2人で燃え出す。異常に見つけるのが早い私。
私が帰っても、友達が瓶いっぱいのガラスをあつめる姿が浮かぶ。
と、夢中になっていたら、友達がまんまと(?)波に飲まれてしまった!
あ〜〜靴が!!ということで、出て早々に、一度帰宅。(珍道中①)

さて、今度はシャガール美術館に向けて再出発。バス停に向かい歩いていると、見知らぬおばさんに話しかけられた。観光客ではない様子、少しやつれた雰囲気で手には吸入器をもち、何かを訴えているがフランス語が全くわからない。友達は薬局のような単語を聞き取ったようだが、どうやら最終的にはお金をくれないか、と言っているようだと判断して、「No!」と断った。何か相談する素ぶりで話しかけて、よく聞くとお金をくれと言われることがあるらしい。

バス停に着いたがバスは来ず、路線図をよくよく見ると、工事でもあるのかバスのルートか番号が変わっているよう。急な変更というのは、よくあるらしい。とにかくバスは来ないので、少しの距離だがトラムに乗ることにした。
そしてトラムは定刻にきて、まぁまぁ空いている車内にのる。

切符は自分で機械に差し込むようになっていて、それをした後、その機械の後ろに立った。
すると、同じ駅で乗ってきたインド系のような女性が、私に背を向けて前にたった。
空いているのに、切符を機械にいれるような素振りをしながらぐっと身を寄せてくる。
一度は避けたが、また身を寄せてきた。
そのせいで私がじりじり後ずさり、後ろの子どもにぶつかってしまい、「ソーリーマダム、」と声をかけられたので、「ソーリー!」と言っていたら、また前の女性が身を寄せてきたので、いい加減不自然だと思い、はっとした。

私は首から一眼レフカメラと、クレジットカードなど入れた赤いパスケースを下げていた。
はっとして、カメラとケースを右手で持ち上げると、その下には前の女性の手が伸びていた。
まるで痴漢のように!

あっ、この人スリだよ。と友達に話し、ちょっと怒りの目で凝視すると、意味もなく携帯をいじりだし、0123と意味のない番号をうっている。そして白々しく、次の駅で降りていった。
なんだか怒りが湧いた。
何も盗られていないけど、痴漢にあったのと同じ気分だった。(珍道中②)

バスをおりても、美術館までの道はなんとなく不穏な感じがした。1人なのに大きい独り言を言う人とすれ違ったりして。
なんだかニースの裏側に触れたようだった。





美術館は、シャガールの主に宗教画をコレクションしていた。色味に癒される。愛を描いたものの印象が強かったから、これほどキリスト教的な絵を描いていて啓蒙する意識があったことをはじめて認識した。

今夜の目的地、ルルドへの良い始まりのような感じでもあった。

そして、やっぱりシャガールの絵はどこかさくらももこ的(逆か。)と思うのは私だけでしょうか。

美術館を出て、バスで新市街へもどった。
旦那さんと合流して、お昼は簡単にケバブを食べたり、帰って荷造りをして、日本の友達とスカイプをしたりして、いよいよ夕方に。

あっという間のニース滞在はおわり、飛行機でトゥールーズへ。またロストバゲッジしたりして!とか言いながら。1時間くらいで着いたかな。
空港で簡単に腹ごしらえをしている間に日が暮れて、空港でみた夕暮れはとても綺麗だった。
賑やかなニースとは違って、落ち着いた雰囲気のトゥールーズ
レンタカーをかりて、一路ルルドへむかう。

ほぼ満ちた大きな月に見守られて、2時間半ほどのドライブ。途中一度サービスエリアで休憩をして。


ルルドの街に着いた。細い道にお土産物屋さんがならび、もう夜の11時すぎだというのに、お店はあいている。
川が流れ、その川沿いに今夜のホテルがあった。街は暗くて静かで、そしてニースとは打って変わって寒い。ここは山のふもとで、空気がちがう。泊まるホテルは小さく暗く、となりのホテルのエントランスでは4人くらいの白人さんたちが歌を歌っていた。
明るい歌なのに、なんでだかこの街の静けさが余計引き立っていた。

夜に人々が活動しているとはいえ、飲み屋があるわけでもなく、酔っぱらってるわけでもない、観光がメインなわけじゃない、やっぱりミサのあとの人々の静かな高揚感、ホスピス、そういったものを感じさせる、不思議な空気だった。

ホテルの部屋にはいり、寒くてお風呂であったまりたかったけど、疲れてしまって、この暗い部屋も怖くて、すぐに寝てしまった。

あした起きたらどんな景色が見えるんだろう。
と思いながら。

南仏の夏休み〜ニースの一日 エズの夜編〜

高台の村、エズ。
ニースの中心からタクシーで20分くらい。
タクシーはものすごい飛ばして、ニースの街を横断する地下道をぐんぐんはしりぬけて、山をのぼり、高級住宅地を駆け上がりながら、見おろすと青い海にうかぶヨットやクルーザーたちがたくさん見えた。

そしてエズに到着。
旧市街のような、小さな入り組んだ要塞都市のようなところで、
小さなお店やレストランやホテルがひっそりある。




登っていくと、1番上の眺めの良いところにサボテン公園があった。有料。

本当にサボテンがにょきにょき生えている!!なんとも言えない不思議さ。




そしてどれもこれも、痛い!!サボテンめ!(?)こんなに面白い形で、どうしてこんな刺々しいのだ。触りたいのに触れない!





不思議すぎる。トゲの間からサボテンの皮を触ると、しっとりした野菜、という感じ。もっとすべすべ触りたいし食べてみたいのにトゲの存在感がとにかくすごい。これを食べるガラパコスイグアナの口の中はいったいどうなってるんだろう。

眺めがとても良くて、空には雲に覆われて白く見える太陽が、まるで月のように空にあった。
思わず月かと思って、目の前に綺麗にうかぶ丸いものを指して「月だ!」と叫んだ。

すると「あれは太陽よ。(英語)」と誰かが答えた。

↑その時をとったのか?誰かと喋ってる風。

なぜ日本語分かったんだろう?と思っていると、フランス人のご夫婦が、昔日本に住んでいたことがある、と話しかけてくれた。80年代デス、と言ったので、私は80年代生まれです、と話した。そして、太陽は日本語で何というんだっけ?というので、タイヨウ、と教えると、あぁそうそう!タイヨウだね、とにっこり。
なんだなんだ、フランスの人はアジア人に冷たいなんて偏見だ、なんて優しいんだ、と単純な私は思った。

エズの村の中はレストランもあるけど、どこも人気で予約なしには入れなかった。でも村の中は入り組んでいて少々閉鎖的でもあるので、外の開放的なレストランでピザを食べることにした。

ほぼ全席オープンテラスの、レストラン。
広い客席を、4人のたくましいウェイターがきびきびと歩き回っている。
私たちのテーブルは、ポール(仮)が担当だ。
あとはジョン(仮)とスミス(仮)が同じ制服をきていて、サム(仮)はひとりスーツなので、若いけどオーナーなのかもしれない。

あまりにたくましく、あまりに見事な働きっぷりなので勝手に名前をつけてしまった。。
あの重たいお皿をがしっともち、姿勢もよくきびきびと動き、一度に同じテーブルの料理を一気に出すときには4人が集結して、ナイス連携プレイだった。

混んでいたのでやや時間もかかるが、見ているかぎりかなりの肉体労働で、でも素晴らしい笑顔、イラだちや疲れも見せず、見事な働きっぷりだ。日本ではなかなか見れないスポーツ感のある爽快な動きだ。

飲食店の人たちの素晴らしい働きっぷりは、この後もそこかしこで目にすることになる。
そして私は日本でもどこでも、飲食店の人の動きを見るのがすごく好きなのだ。

最後にはサム(仮)にタクシーをよんでもらい、また家へと戻った。ありがとう、ナイスガイたち。

さて、ニース最後の夜である。
明日の夕方にはここを発ち、西のルルドへと向かう。

そしてもうすぐ満月なのである。
友達がドビュッシーをかけてくれた。
染み入った。
気絶するように寝てしまった。