かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

30代独身OLの日常のB面(尽きないファンタジー)を書いています。

ちょっとした1up↑↑

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日曜日に日帰りで日光に行ってきました。

小雨が降り続き、川面は霧で幻想的にけむっています。

 

と、しかし今回はそんなことではなく。

 

私はこのところよく、坂爪圭吾さんのibaya通信というブログを読んでいます。「完膚なき無職」、家なし金なしの生活をあえて選んだ彼が、人のご縁で得た家を今は無料で開放し「ごちゃまぜの家」として運営し、はたまた呼ばれるままに全国世界中渡り歩き、また心をこめてお花をあげる活動とか、なんか色々日々を創っている。「所有すること」や「条件を備える」ことで得られる自分への外側からの価値(あるようにみえる)ことを全てすてて、自分自身の内から自分を愛することにかなり実験的に取り組んでいる人にみえる。(なかなか説明難しいな!)

やばいことだけをする、答えよりも問いになりたい、

ということで、やばいをさかさにしていばや、だそうです。

 

こんなことを書くと、このあとの話はいっきにしりつぼみになりますが、

たまたまその日のブログタイトルが「1日に一度は恐いことをしよう」ということで、

私はとても退屈していたので、何かチャレンジできることはないかなあ、と思っていた。

 

けっこう1人がすきだし静かな時間が好きだから、人と関わることかなあ〜と思っていた。人前にでることとか。人前にでることは本当は好きだけど、会話がめちゃ苦手!

 

でもちょっと恐いことを、こわごわやってみたあとの爽快感を私は何度か味わったことがある。爽快感と高揚感!

弾き語りのライブにでてみた、練習の成果を先生とみんなに見てもらう、荒波に負けずイルカと泳いだ、電車で気になるあの人に話しかけてみた、、など!

恐いことをやってみたあとの、退屈が吹き飛ぶ感じが毎日あったら凄いなあ、若返っちゃうなあ、と思った。(人を疲れさせ、老けさせるのは退屈だと思う。寝てもとれない疲れは退屈疲れなのた。)

 

と、うっすらそんな事を思いながら、わたしはその日母にもらった「california」と描かれたTシャツをきて、日光にて夕方、ひとりで駅前のしがないお店でうどんをすすっていた。

 

すると観光客が数人しかいない店内で、同じく1人できていた黒人の男の子がお会計を済ませたあとこちらにきて、英語で「もしかして、、カリフォルニアに行ったの?ぼくカリフォルニアからきたんだ」というようなことを言った。

 

じつは私は先週から英会話をはじめたところだったので、会話のチャンス到来だった。

それからなんだかんだ、列車の時間までお話しして、私は帰り、彼は日光に宿泊、翌日東京経由で大阪にいき、明後日帰国だという。

 

駅でお別れして、わたしは先週の体験レッスンで習ったことが活かされすぎて驚いた(まだ体験しかしてません。)。すごい良い先生に出会えたきがする!

 

そして翌日、、なんかチャレンジなことにしては今ひとつだったので、勇気をだして、彼が大阪にいく前に少しだけ東京を案内することにした。(これが、ちょっとした1up!)小1時間〜2時間ほどだったけれど、思いのほか色々お話しできてチャレンジ成功!である。

 

よく自分が1人旅のときに、色んな方に親切にしてもらったけど、逆ははじめて。

そしてわかった、やっぱり親切にしてくれるには、当たり前だけどそれなりに相手に好意があるからだ!というのを感じた。自分の時間をかけてくれるのだから。一瞬の出会いにきらきらしたものを残せる人になりたい。

(それから何かしてあげるほうは、別に何も求めちゃいないけど、遠慮より喜んでくれたら嬉しい。)

 

しかし。

なんとなく、まだ全然物足りないのであった。

恐さがたりない!

どきどきしない!

『わたしの心に触れられていない。』次のチャレンジはいったい、、

 

、、模索の日々は続く。