かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

30代独身OLの日常のB面(尽きないファンタジー)を書いています。

世界がにじむ時〜瞑想と恋のカンケイ〜

この5年ほどのあいだに、色々と体験してみたことがある。もともとのはじまりは、健康になりたかった。病気ではないけど、健康を通して私は自分に自信がほしかった。

私は弱くて、力がない。とすごく思っていて、身体が強ければ、すぐに疲れなければ、「私は大丈夫!」と思えるのに、色々不調を感じてしまうから、「ダメだやめよう、そんなことできない、私には無理、私はダメだ」とすごく小さくなっていた。

 

リコネクション、アロマ、レイキ、クラシカルホメオパシー、ドルフィンスイム、太極拳、気功、瞑想。

惹かれるままに色々出会い(⬆︎の順番で)経験した。ドルフィンスイムはカテゴリーが違うように見えるけど、間違いなく私に感情的ブレイクスルーをもたらしたものなので書いた。

 

免疫力とか、自己治癒力とかスタミナとかを求めていた私の、本当の願いは、

『大丈夫になりたい。』

“私は私で、心から大丈夫だと思えるようになりたい”

ということだった。

 (そして振り返れば、なんだかんだ風邪はひかなくなり、繰り返していた口唇ヘルペスも2年ほどでていない。風邪をひいても、治せる自信がついた。おまけに身長は伸びて体重も増えた!)

 

2015〜2016年の間に、タオゼンで太極拳と気功と瞑想を経験した。

その時は水がしゅわしゅわ染み込んでいくように、新しいことの吸収、それからどこかで「私もそう思ってた!」という共感があった。

 

その時にうけたクラスのひとつに、シックスヒーリングサウンズというものがあった。人の内臓、各臓器にはそれぞれパーソナリティがあり、感情と深いつながりがある、という東洋の伝統的な思想に基づくもので、五臓➕1に、音と色(光)とインナースマイル(微笑み)を届けるセルフヒーリングとなる気功(瞑想?)だ。

 

はじめてそのクラスを受けたときに、私は自分の内臓を想像したからなのか、急にすごい怖さと不安に襲われた。なんかよく分からないけど、無性に怖くて、動悸がして、血の気がひいてきた。

むかし茂木健一郎さんの本を読んだときに、子どものころ自分の心の中の開けてはいけない扉を見つけてしまった、というような文章があって、まさにそのときその扉を見つけてしまったようだった。

何とも言いようがなくて、でもそのザワついた気持ちを先生に伝えると、

それは恐いのかな??(果たして本当に?)と問われ、開けてはいけない扉みたいなものを見つけた時に、開けますか?そっとしておきますか?と聞くと、開けます、だってそれがあるというのは弱いということだから、と言った。

 

そうか。開けるのか。

そこから何かが、私の胸からだだ漏れるように溢れ出して、身体の底から渦巻きが巻き上がるように、深い大きな竜巻のようなものにのまれていくのを感じた。

その感覚に身を任せると、とめどなく涙があふれる。感情があふれだして、それを翻訳するなら、「心から謝りたい」というような猛烈な気持ちなのだ。

その渦に飲まれながら、五感も不思議な冴え方をして、真空の空間にいるような、水の底にいるような、ゆったりとした空間の広がりを身体の中から感じていた。

 

あの日帰りに見上げた街路樹を揺らす風の色。

せきとめられたものが流れて、不思議な静けさが訪れ、水の底から外の風の音を聞いているようだった。

 

一瞬一瞬がいつもよりゆったりと、鮮明に見える。胸に響いてくる。

全てがごちゃまぜになったすがすがしい感動があった。

この嵐は、2日間ほど続いた。

胸の扉は予期せぬときに開くものだ。

 

私はじっと座る瞑想にはあまりハマらなかった。色々トライしてみてそれなりに慣れたけど、あまり好きにはなれなかった。出来てる実感もなかった。

太極拳は動く瞑想という位置づけで、コンシャスメディテーション(意識的な瞑想)とも言われ、歩くとか、泳ぐとか、料理とか、絵を描くとか、そういった動作をともなう中で無心になれること、のほうが私にはあっているなあという結論だ。)

 

けれど、恋をしていたとき、また同じような景色を見たきがした。

秋のはじめに、お付き合いすることにはならなかったけれど、惹かれる人がいて、その時にみた空や木々や風景はぐっと綺麗にみえた。それをみて、あぁ、恋してるんだなあと気づいた。

 

扉をあけた時はその何倍も強かったけど、恋をしているときもじんわり溢れるエネルギーが、世界をにじませる。

 

どちらの鍵も、素直であることのように思う。

 

秋めいてくると、どうにも何か恋しいような気持ちになるのだ。