かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

西仏の夏休み〜ルルドでの1日 前半〜

朝目覚めて窓の外をみると、明るいけれど、雨上がりの朝靄におおわれていた。




目の前の川はポー川という。源流はピレネー山脈でしょうか。
緑の匂いをかいで、シャワーを浴びて、朝ごはんにいく。

小さなホテルで、朝食会場には私たちのほかにフランス人のご夫婦が1組だけ。
果物コーナーで1本しかないバナナを、フランス人のご婦人がぱっと取ってから、私を見て、「ごめんなさい、1本しかないのに取ってしまったわ!これはあなたのよ、どうぞ。」と言って、譲ってくれた。
そんなそんな!それはあなたのです、と譲りあったけれど、すっごく優しい笑顔で最後まで譲ってくれたので、ありがたく受け取った。
パリから来たとっても穏やかな、クリスチャンらしいご夫婦だった。

雨はあがったかと思いきや、ぐずぐずと降り続いている。そしてけっこう寒い。たぶん12.3度だったんじゃないだろうか。フリースを着てもまだ寒い。

さてルルドとは、まだ200年も経っていないその昔、マリア様のお告げで掘られた場所から湧いた水によって、病気治癒の奇跡がおきたことから、ローマ教皇認定の、キリスト教の聖地である。
そしてスペインのサンティエゴ・デ・コンポステーラをめざす巡礼の中継地として、訪れる人も多いと聞く。
観光で訪れるには、特殊な場所かもしれない。

あまり深く考えていないタチの私がここに来た理由をあえて説明するなら、
「たまたまそこに行った人の話をきいた。不思議なことが好きなので、その水を飲んで見たいとおもった。さらに友人の旦那さんもたまたまルルドに興味があった。」くらいのことだ。

でもどこかで、1つの旅の目的地を決めるという単純そうな事も、その人の日々の中で積み重なった色々な情報が地層のようになって、その選択をする流れになるんじゃないか、という気がする。それはいくら理屈を重ねても、逆に何の理屈がなくても同じ答えになるような、じつは大きな伏線の1つなんじゃないか。と思う。そしていくらダイナミックな事をしたとおもっても、じつはその伏線から出れてはいないんじゃないか(お釈迦さまの手のひらから。)、と思ったり。

雨のため車を中心街の駐車場にとめ、大聖堂へ。シスターとナースをたくさん見る。ここは教会の者と医療従事者がともに白い服を着て祈る場所だ。




インフォメーションセンターにいくと、日本語のガイドがあった。
ルルドは、世界中から人が訪れるので、観光地としてもかなり整備されていたのだった。
いよいよ大聖堂の中へ。

ちょうど時間は昼のミサだった。シスターの間に挟まれ、ミサに参加した。
威厳ある、厳かなミサだった。
賛美歌とお祈りのあとで、隣人にありがとう、と言って握手をする時があった。
照れながらシスターと握手をする。閉鎖的なところにいる方らしい、シャイで素直な笑顔だった。

最後に司祭からパンのかけらに見立てた白いお麩のようなものをもらい、「bless you」という言葉をかけていただいた。あなたのために祈ります、という気持ちが伝わったので、とても心温まった。
素直な気持ちでここに来れて良かったと思った。
私は歩くのが好きなので、少しだけサンディエゴデコンポステーラの巡礼路に興味がある。
巡礼地は、世界中の人に開かれた場所だ。
素直であればただ心温まる場所だ。







このあと、大聖堂の脇にある泉のあと(いまはちょろちょろ水が岩肌からしたたっている)と、採水場を見る。
なんと聖水はいまやとても整備されて、近代的なボタン式の蛇口から取れるようになっていた。水とはいえ生ものなので、私たちはルルドを離れる明日に採水することにする。

大聖堂のすぐ脇にも、まるで伊勢の五十鈴川のように水量豊かなポー川が流れている。
川を挟んで対岸から大聖堂を眺め、通りかかったご夫婦に写真を撮ってもらった。
どこからいらしたのですか?と聞くと、マダガスカルからとの事だった。人生で初めて遭遇したマダガスカルの人だ。今回のルルド訪問は、酸素吸入器が手放せたお礼参りとのことだった。

お水をとる容器を買うために私たちはお土産物屋さんをはしごした。
あまりに寒くて、友達の旦那さんはマフラーなど買っていた。
何リットルも入るプラスチックのタンクから、お土産に最適なウィスキーの小瓶のような大きさのものまで、様々なボトルがあった。
私は小さいのを3つほど買った。

ついでに目の前のカフェでランチをした。寒くてお店をゆっくり選ぶ余裕はなかった。

給食のようなミートソースパスタ!お腹いっぱいになると身体も暖まった。
私たちのあとから、英語もフランス語も話せない、中国のとても田舎から来たような年配のご夫婦がきて、私たちの近くで私たちのパスタを長いことみて、そしてゆび指して頼んでいた。

フレンドリーな店員さんも色々話しかけるが何も通じない。

おじいさんはリュックをしょったままパスタを食べて、店員さんがジェスチャーを使って美味しいかい?と聞くも伝わらず、
おじいさんは中国語で何やら私たちに話してくるけどわからず、「ウォーシー、リーベン(私たちは日本人です)」と言っても反応がなく、
たった一言だけ、私がパスタを指して、「好(ハオ)?」ときくと、「好!」とそれだけ伝わった。

おじいさんも、マダガスカルの人も、私たちも、いったいなんの縁ではるばるここまでやってきたものか、聖地とは不思議なルツボである。

つづく