かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

西仏の夏休み〜ルルドでの1日 後編〜

もう12月だ、昨日は箱根で初雪に遭遇したのに、夏休みの記事を書く。

続き。
(9月後半のこと。)

ルルドはたくさんのお土産物屋さんがひしめいているので、私たちはしばらくの間飽きることなく買い物をした。ルルドTシャツや聖水入れ、エンジェルやマリア様の置物、シスターたちの手作りお菓子などなど、キャッチーなラインナップが豊富で、聖地らしからぬ物欲が刺激されてしまいました。

それにしても寒くて、だんだん体温が下がり動けなくなってきたので、喫茶店で暖をとることに。

ショコラショー、はホットチョコレイト。
甘いもので暖をとる。

オーダーをしようとおじいさんの店員さんに声をかけると、「ちょっと待って、いまこれやってるから、その後で行きますからね。」とカトラリーを拭きながら明るく言った。

なんとなく、こちらの飲食店でのペースの違いが見えてきた。
日本のようなお客さま第一!というのとも少し違って、お客さんも待つのは当たり前と受け止めている。お互いに気持ちに余裕を持っているのを感じる。リラックスしながらもきびきびしていたり、時間はかかっても明るい会話があったり、触れ合いがある。
東京て、いつもどこかで無言の緊張感やプレッシャーがあって、急かされてるような気がする。

のんびりお茶をした。
しかし寒いものであんまり歩き回りたくもなかったので、この後は夜のミサにいくために、いったんホテルで夕方まで休むことにした。
部屋に戻ってニースのシャガール美術館で買ったハガキなど家族にあてて書いてみる。
旅先でのハガキて、とりとめなくて、小学生みたいな文章になってしまう。
私はここにきて少し疲れがでてしまい、一瞬のうたた寝をした。

日が暮れて、まずは夕食をとりにレストランにいった。
どこもこの時間は混んでいて、予約していなかったけれど何とか座ることができた。

店内には、何かの制服を着た人や、キャンドルを持つ人がいて、みなこの後のミサに行くようだ。ここではみな同じ目的で動いているのだ。

夜はだれでもキャンドルを買って参列できるようだけれど、私たちは昼のミサにも参加したので(その時に存分に祈り倒してもう満足していた)、夜は見学することにした。

さていよいよ大聖堂の前の広場にいく。近づくにつれだんだんと人が増え、広場ではすでにキャンドルを灯しているひと、買うひと、待ち合わせの人などたくさんいて、まるでお祭りの前のように、少し気分が高揚するようなこれから何かが始まるね、というムードが漂っていた。

キャンドル隊は徐々に長くなり、いよいよ広場をぐるっと練り歩きだした。先頭ではなにか大きな声で言っている。歌を歌ったり、何かを唱えたりしていて、暗闇のなかその声が響く。声に合わせてキャンドルを上げたり下げたりして、ゆっくりゆっくり歩きながら、どんどんその人数は増えていく。

隊列の先頭がぐるっとこちらに向いた。司祭が歩き、マリア様の像をお神輿のような台に乗せて先導している。昼間は聖堂の綺麗さに気がまぎれていたが、夜のこのミサはなぜか宗教色を
強く感じた。暗闇の中、大きな号令で大勢がいっせいに同じことをしているからだと思う。




聖堂のうえから眺めたキャンドルの隊列。車椅子の方たちも並ぶ。健康を願い、心の平和を願い、最後の最後にここに辿り着く人もいるのかもしれない。

遠くを見れば、お城の壁にはプロジェクションマッピングがされている。マリア様のお告げをきいたただ1人の少女、ベルナデットの顔や、トリコロールなどが映る。
祈りの場所は立派な観光地でもあり、不思議な栄え方をしていた。
(ミサを眺める人のなかに、お昼に会ったあの中国のおじいさんもいた。よい旅を!と思った。)

折しもこの夜は満月で、大きな月がミサとプロジェクションマッピングと、私たちを照らしていた。山あいの寒いこの小さな町の上に、静かに輝いていた。

ミサを最後まで見届けて、ホテルに戻りお茶をした。なんとなく気持ちは静かに高揚していた。もう11時を過ぎるくらいで、夜までお茶を飲みながらなんとなくお喋りを続けるのは楽しい。昨日の夜ルルドに着いたとき、外で歌っている人たちがいたけど、いまの私たちも少しその気持ちがわかる。川の流れと雨の音しかしない静かな所だけど、あのミサのあとの少しばかり高揚した気持ち、これを聖地ハイと名付けた。