私はばりばりの文系なので理屈っぽいことが苦手だ。情緒や余韻や感覚や気持ちとか、そんなことにばかり関心があって、理屈じゃない感覚で物事を決めることも多い。でも、時にものごとを正しく整理して把握する力は理系の人は素晴らしいと思う。自分との違いがとても面白く、爽快だとさえ思うこともある。
私は鳥が好きだからそのような本も読むけれど、文系・理系の筆者両方よむとその違いは面白い。作家の梨木香歩さんは「渡りの足跡」で渡り鳥の「渡り」をする本能について、鳥の目線を探ろうとする。どのようなタイミングで、衝動で、海を渡っていこうと飛び立つのか。渡りに駆り立てる本能とはいったい、言葉にするならどんな思いなのだろう・・?という視点を感じる。
一方で、鳥類学者はたんたんと実験にもとづくデータから、どこに住み何をたべどのように育ち、どのように巣立つのか、生態を知ろうとする。そこに最近では鳥同士のコミュニケーションという鳥類の言語学なる分野も誕生しているからとても興味深いけれど、どんな思いで・・という情緒的なところには踏み込まない。
この違いはとても面白く、またどちらも鳥に対して関心を寄せる=愛情があるという点は、両者とも深いところで同じくする思いだ。
理系の方を爽快だなと思ったのは例えばこんな時だ。
昔、弓道に興味があり区の施設に何度か習いに行ったことがあった。歴の長いおじいさんやおじさんが教えてくれたが、まず正しい型を覚えて細かい理屈は後から、というような感じで、型は思う以上に難しく、型ができればちゃんと矢はとぶはずと言われてもよくわからなかった。その時にたまたま年の近い理系の女の子が(しかも東大生)、「矢にはこのような回転がかかってこうなっていくので、こうした方がいいんだと思います」と物理みたいなことをこっそり教えてくれて、すっかり腑に落ちて、「なるほどね!」と爽快に思ったものだ。
そして最近は茶道でも、探していた法則を理系の人が見つけてくれて、わたしはまた「爽快だ!」と思ったのだ。
茶道ではまずお茶碗をお湯で温めてからそのお湯を捨て、茶巾で3回半ふいて清める。3回半かけて茶碗を手の中で回し拭きながら、最後にはぴったり茶碗の正面は手前を向かなければならない。それでよく多くの先生たちは、3回ふいて最後の半分で正面にくるように調整すればいいのよ、という。ところが昔、一番最初に教えてくださったK先生だけは、「3回半で正面に戻ってくるのだから、〇度くらいずつずらして回していけばちょうど3回半で一周もどって、必ず正面が手前にくるのよ。」と計算した結果を教えてくださっていた。ところが時がたち、文系のわたしはその角度を忘れてしまい、(K先生が計算した黄金比があるのは知っている・・あれは一体何度だったの・・?)と長年の疑問だった。(理系の人には意味が解らないだろう・・)
そんなある日、クラスで先生とお天気の話をしつつ台風の特性についてちゃきちゃきと説明しているYさんが先生に「さすがね~もしかしてYさんて理系?」と言われていた。
するとYさんは「理系です。女で理系っていいイメージないから隠してたんですけど・・」とおっしゃった。「だから時々、皆さんがなんでこんなことがわからないんだろうってことがあるんです~」と言っていたので、これは・・あの法則をきくチャンスでは!とひらめいた。
そして帰り道に「これこれこうで、黄金の角度を探している」と話すと、私のつたない説明を瞬時に理解して、「はいはいはい。60度だよ。」と即答してくれた。試してみるとぴったりなのだ。
「60度・・!60度なんだ・・!黄金比率にまた出会った!」
と感動してしまった。
私は60度の黄金率のおかげでもう迷いなくお茶碗が拭けるし、いつでも何も迷わず何も調整しなくてもぴったり正面が合うようになった。
ありがとうYさん、ありがとう理系のみなさん!
Yさんは「逆にわたしは人の気持ちを考えろって言われる方がめんどくさい。国語の問題でよくあるじゃない?ああいうのすごくめんどくさい。うちは家族全員理系だったの。だから何か意見する時も、嫌だからっていう気持ちだけじゃぴしっとはねられてた。」といった。それで、少しばかり気が合わないところがあるかもと思ったことがあったYさんについて、理系の背景があったのか~と違いを理解して、人って面白いなぁと思ったのだった。
こうして人は助け合うようにできてるんですねぇ、文系の私がどんな役にたっているかわからないが・・。