朝ごはんを食べていると窓の外に野うさぎがみえた。きのう大斎原の河原で、小さなころころしたフンをたくさん見ていたので、やっぱり!と思った。
今朝は宿の送迎バスでまた十津川温泉駅までいき、玉置神社行きの世界遺産バスに乗る予定。
すると十津川温泉駅には昨日熊野から乗ったバスの運転手さんがいて、「このセンセイも行くらしいわ」と、玉置神社行きバスを待っていたサラリーマンのようなお客さんとさっそく話していた。「ちょっとスケベェやけどな!」とがははと笑った。なんて紹介の仕方であろうか・・笑
玉置神社行きバス(世界遺産バス)は、なんと土日のみの運行で1日一本!
それでもこの日の乗客は私いれて3人だった。(ほとんどの方はマイカーで来てます。)
見事な晴れ!山をのぼり、駐車場は標高1000メートルのあたりにある。ここから参拝する。
景色を眺めてからいよいよ鳥居の前にたつと、ざわざわざわ〜〜〜っと風がたって木々が揺れ、太陽がぱあーーと現れだした。
よう来なさったぁー・・✨
と歓迎されるかのような雰囲気を感じた。
2つ目の鳥居の前でも、美しい光を感じた。
美しい。美しい。
森をあるきながら、巨木の立ち姿に息をのみながら、無心に。
長い参道をぬけ、ようやく本殿にお参り。参道を歩くのがとても心地よく、けっこうな距離だったけれどあっという間についた。
熊野は魔除けのための祈りの場で、玉置神社は熊野三山の総本山だそうだ。
本殿の裏には巨木な縄文杉があった。巨木を育む境内の空気は神秘的だ。それを見ていると、うしろでパタっパタっと音がする。
振り向くと1つの紙垂(しめ縄についている白い紙)が音をならしていた。風はさほど感じていないのに、そこだけ空気の流れがあるのか一定のリズムでパタっパタっと鳴り続けていて、はやくはやく、こっちに進めよ。とでも言っているように感じる。
まだこの先に、玉石社がある。山の上に上にと向かって参道が続いているので、頂上を求めてワクワクした気持ちが膨らむ。
本殿前にもどり、目の前にたまたまいたご家族に、玉石社はこの先ですか?と聞いてみたが、分からないというのでとりあえずそのまま先に進んだ。すると道はもう参道というより登山道のように、どんどん頂上めざして傾斜が険しくなり、さらに木の根が剥き出しの道になっていったので、休み休みしながらどうにか登ってった。やがて少しすると祠の周りに丸い玉石がたくさん置かれたような、玉石社に着いた。玉置神社のもとは、この小さな玉石社だそうだ。玉石社は頂上に続く道の中腹にあり、多くの人が周りに腰を下ろし休んでいた。上に行くにも下に行くにも登山道なのである。
ここでゆっくりすることもできたが、しかしすでに私の気持ちは頂上に向いていたため、玉石社はさっと見て上に進むことにした。
なんだか、神社の中にいる時はあまり疲れとか身体の重さをリアルに感じなかったりする。ある種、ハイになっている模様。
頂上に向けてさらに道は険しく細くなり、本当にトレッキングシューズで良かったと思う道を登りきり、登頂。立派なプチ登山だった。
頂上はそんなに開けた景色ではなかったが、ここが秘められた聖域であればそういうものなのだろう。
しかし辿り着いた気分は爽快だった。
しばし景色を堪能していると、さきほど本殿前で道を聞いたご家族がタイミング良く登ってきた。お疲れ様でした〜!と迎えて、他に誰もいなかったので記念写真を撮り合いっこした。
気をつけて降りてくださいね!と言ってくれてなんだかホッとした。
玉石社まで降りると、まだたくさんの人が座って休憩していた。地元の方はたぶんだいたいこの辺までお参りして、山頂にはそうそう行かないだろう。
実は小さい頃から木の根のはう山道を走り回りたい願望が心の奥にあって、この道を歩いていたらワクワクしてしまいちょっとだけ駆け下りたら、すっ転んでストン!と尻餅をついてしまった。綺麗な尻餅だったので全く痛くもなく、キョトンとしてしまった。
境内ではしゃいではいけません・・。しかしおかげで、参道から外れた山中の石仏に、神主さんが祝詞をあげる姿がみえた。こんな神秘的なところで日々あのような営みがされているのだな、と非日常の景色を味わった。
下に降りてきて最初の参道に戻ったとき、 歩きながら急に夢の中のような気がした。
あっ、デジャブだ。夢で来てたな、、と思った。
こうしてファンタジー炸裂の参拝を無事に終えました。
湯ノ峰温泉へ続く。