かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

年賀状2018

92年に親戚のおばさんが、写真をみながらサラッとうちの犬を描いてくれて、それを横で完成するまで見ていた小学生の時のことが忘れられません。

去年、その時の絵をおばさんが思い出して送ってくれて、今年年賀状デビューさせました。

ビーグルで、ダンボという名前でした。
食べることが大好きで、この子が食べなくなったらその時が最期だねぇなんて言っていたら、なんと亡くなる2時間前にバナナをペロリと一本食べたのでした。
あっぱれな最期でした。
我が家らしい犬だったと思います。

我が家は(主にワンチャイが)食べることが好きで、レストランに行くことが、恒例の家族イベントでもあります。

さして大した会話はなくても、ご飯を一緒に食べることで、時間と歴史を共有するような、1枚1枚重なっていく時間をつくっているんだなぁと思ったりします。我が家は食事の風景が大切な歴史と思い出になっています。

2、3年前からお正月に行くレストランがあって、今年も家族揃って行くと、奥の席には去年も来ていた男性のカップルが1組来ていました。静かに寄り添うように過ごす穏やかな2人なので、とても印象に残っていました。

それぞれどんな1年を過ごしたかわからないけど、今年もまた揃って訪れて、食事をしている。穏やかな2人の姿を見て、なんだか暖かい気持ちになりました。
これまでは変化や新しいことの方が好きだったけど、だんだんと、毎年同じことが出来る有り難さ、みたいな事を思うようになっているのを感じます。

また来年もこの光景が見れたらいいなぁ、と思いました。

気配

このあいだ、仕事が終わって外に出て夜空を見上げると、そこにはピーーーっと動く星があった。その迷いのない動きから、衛星かなと思った。
最近は安価な小型の衛星も打ち上げられるらしいから、たくさん飛んでいるんだろうなぁ、となんだか知った風なことを考えた。前にも何度か見たことはあったから、たくさんあるうちの1つなんだろうと思ったのだ。

その動く星は一定の速度で一直線に、かなりのスピードで過ぎ去っていった。雲に隠れるまで見届けて、よしっ、と帰路についた。

そして翌朝のラジオで、あれは国際宇宙ステーションだと知った。あの星には人が乗っていたのだった。

偶然だけど、ふと目に入る。
その「ふと」には、頭で解釈しきれないことがあるのだと思う。
直感的に感じとったものに、頭が解釈するまえに身体が反応すると、「ふと」したことになるんじゃないだろうか。

偶然に見えて、偶然じゃないのだ。
その気配を、頭より先に知っていたのだと思う。


今日はお昼に黄金色の銀杏をながめていると、後ろから小さな女の子に見つめられていた。
振り返ると2歳くらいの女の子がつぶらな瞳で、じーーっと私をみてフリーズしている。

私も見つめ返す。なんだろう??まっすぐに見つめ合うのは楽しい。
大人だとそこに理由が必要だけど、こんな小さなこどもはただただ見てくる!

こんにちは、といって手を出すと、手をのせてくれた。(犬みたいに接してしまったかな?!)

何か興味を持ってくれてるのは、すごーくわかる。まっさらな好奇心で。私はももちゃんに「発見」されたのだった。
目を見つめていると、何もないけどなんか「うん。うん。そうだね。」とうなずきたくなる。子どもは目で語る!

何をどうしても見つめ続けているので、親御さんが次第に焦りだし、
「も、ももちゃん??ほら、お姉さんも困っちゃうよ。どうぞ、行ってくださいね。ほら、ばいばーいって。も、ももちゃん??」

と行って、わたしもばいばーいと手を振って歩きだしたけど、ずっと見ているももちゃん!
振り返ればももちゃんも振り向く。
しまいにはお父さんに抱っこされて見えなくなった。

何だったのかなぁー!

でも子供の気配はまっさらで、純白のようだった。ももちゃんにはどう見えていたのかな?

ベスト⭐️旅アワード✈️

色々と旅行記を綴ってきましたが、
個人的に振り返って楽しかったマイベスト旅アワードを書きたいと思います。

ベスト⭐︎プランニング大賞⭐︎
『島根、阿部家と奥出雲の旅。』です

中身がなかなか個性的!な旅でした。
島根といえば出雲大社ですが、我々は、
「いま島根であついのは阿部家!そして奥出雲の餅!」というローカルな旅。
(過去ブログでは阿部家について触れませんでした)
阿部家は、石見銀山のある大田市のほうで、群言堂を手がける松屋登美さんが暮らす古民家の宿です。「ここには全てがある」、という大田から手作りの暮らしを発信するクリエイターの松屋さんご夫妻。いまでは100人以上の雇用を生み出す事業にまでなった。これはあついでしょ!と思い、腰かる〜く行ったのでした。当時は予約もとれましたが、今はどうかな?現代の口コミの威力はすごいです。ここの素敵なお風呂に友人と3人で入ったのがなつかしい。

そして餅好きの私が、当時の職場のグルメな上司に、一番美味しいお餅は?ときいたら「奥出雲のまるいし。」ということで、阿部家の翌日、奥出雲へ飛んだのであります。
奥出雲のあの棚田の風景、奥まってゆく不思議な雰囲気、水のきれいさ、たたら製鉄のこと、ヤマタノオロチ伝説の里、そしてパキッ!!と充電させてくれた温泉と朝日のこと。ほんとに良いところでした。

島根に行くなら、阿部家と奥出雲はオススメです!!(個人的にはとくに奥出雲。)
人もすご〜〜く、良かった。最近はよく奥出雲への移住をすすめる話を聞く。もし田舎暮らしに興味がある人がいたら、ひとつの参考になるかもしれない。

ベスト⭐︎ミステリー大賞⭐︎
ストーンサークルグラストンベリーの旅』

忘れられない夢のような旅。そして当時の自分がやりたいことを全部やりきった、と思った句読点のような旅。これ以降、やや暗中模索期間に入った。
ミステリーは美しく平和にそして力強く、そこにあった!イギリスは美しい!

ベスト⭐︎リピート大賞⭐︎
『富士周辺、河口湖の旅』
色々なところに行ってみたいので、1回行けばかなり満足なのですが、富士山の姿は何度でも拝みたいです。登りたいとは思わないのですが。
その気持ちを自覚するようになり、今年は5月〜8月のあいだに、三回も河口湖に行きました。異例です。私は富士山の姿がとても好きです。(そして河口湖周辺のほうとうは、「小作」がオススメです!色んな種類があります。混むけど回転率が良いので待つべし。)


ブログには書いてませんが、カヌーにも乗りました。
富士山からはいつも爽やかな風がふいてます。自分の中に似たものがあり、キラキラ洗われていくようです。日本人だからでしょうか、自分のルーツをかんじます。

そしてこのような方程式を発見しました!

ヨシナガムチゴケ

苔を見にいったときに、科学博物館の先生がすごく面白い苔のカルタをつくっていて、みんなでそれを読み上げたりして、色々名前を教わった。

素人には一回じゃ覚えられないものも多かったけれど、ふとした時に名前が頭をよぎって、あっ覚えてた!と思うものもあった。

教わった中のひとつに、ヨシナガムチゴケ、というのがあった。
たぶんヨシナガさんという研究者が発見して、ぺろっとめくると裏にムチのような細長いものが二本ついている苔なのだ。

その姿はなんとなく、エブァンゲリオンの第三使徒サキエルぽい、と私は思った。思っただけで誰にも言わなかった(のでここに書いてる。)。

先生、このムチのようなものは何でついてるんですか?
と聞くと、
先生は苦笑いしながら、
「生物の研究で、機能を解明するのが一番難しいんだ」、と言った。
つまりまだ分かっていないのだそうだ。

苔の世界はまだ謎が多いようだ。

でもきっと、生きていくのに無駄なものはないんでしょうね(無駄なものをわざわざ生き物は身体に残さないんでしょうね)、とわたしが言うと、
おぉ、名言だねぇ。
と先生は顔をほころばせた。

けれど、同時にふと思い浮かんだのは、
かの叶恭子さんが、「何も入らないバッグ」をコレクションしていることだった。

何も入らないほど小さく、バッグとしての機能を果たしていないのに、デザインのためだけに存在するバッグ・・。そしてそれをコレクションして愛でる感性と余裕・・。

そして思わずすぐに口をついてしまった。
「でも意味のないものを持ち続けることのほうがかっこいいかもしれない・・」
と言ったら、先生は「ん??」という顔をした。

その小さなバッグは小さな輝きで恭子さんの心にマーベラスな栄養を与えるのだろうか。
夕日をみたり、風にふかれたり、木を触ったりして私が何かをもらうように。

人の感性は「生き残る」という生き物のテーマを超えたところにあるようだ。

北八ヶ岳で苔を見た。

f:id:ayutann:20171021103714j:image    f:id:ayutann:20171021103811j:image f:id:ayutann:20171021103548j:image f:id:ayutann:20171021103900j:image

友人に誘われ、北八ヶ岳の苔の観察会に行ってきた。小さき宇宙の世界。これほど足元に目を凝らしたことはない。こんなミクロな世界があったなんて。森の始まりの姿をみた。アイスランドにいったとき、そこは溶岩の上を覆ういちめんの苔の大地だったのがすごく印象的だった。苔は光合成により完全に自主独立した生命体(他の生き物から栄養をもらうわけじゃない)で、たっぷりと水を含んだ苔の大地の上に木が育つ。

北八ヶ岳は日本でも有数の苔の名所で、最近はJR大人の休日倶楽部で吉永小百合がCMで訪れたことでまた注目を集めているそうだ。苔の観察はじっと足元を見るので寒かったけど、苔を愛する人達の苔愛が素晴らしかったです。そしてこの観察会を主催する北八ヶ岳苔の会を育てた、通称苔じいのストーリーがとても印象的だった。

苔じいからお聞きした苔の会の歴史をいっきに書いてみます。

8年前から始めたこの活動、北八ヶ岳の貴重な苔を守るため、また広く知ってもらい色んな人に訪れてもらうため、山小屋の大将たちと苔じいで「苔の会」と名前をつけスタートした。まずは苔についてきちんと知るため、科学博物館の先生に何とかコンタクトを取って招致し観察会をひらき、北八ヶ岳が「貴重な苔の森」に認定された。先生には苔の会の「顧問」をお願いし、継続的な活動に発展していく。貴重な苔を外にアピールしていくため、行政に断られながらも諦めず補助金を取り、北八ヶ岳の苔の図鑑とパンフレットを製作した。また現地に訪れる人のために山小屋の大将がひとりでコツコツと森に木道を設置したり、苔の会メンバーも日本蘚苔類学会に入会し、北八ヶ岳での学会開催が実現し、苔の会メンバーも研究活動に邁進し学会で先生と共同発表を行うまでに学術的にも発展したそうだ。やがて苔の会の活動に行政も積極的に関わるようになり、苔の森開きの日には市長もくるようになったり、観察会のある日には拠点となる山小屋まで行政がバスを出してくれるようになることで多くの人が訪れ、北八ヶ岳の苔の森はメディアにも取り上げられ広く知られるようになった。そしてまるでトントン拍子にディスカバーJAPANにのり、アメリカのウォールストリートジャーナルに取り上げら、そしてJRのCMで吉永小百合さんがくる!!と今や静かなる苔ブームがおきているよう。

苔じいと山小屋の大将たちだけで始まった活動。一から全部やったからすごく面白かった、と苔じいは語って下さった。全国的な貴重な森であることを知って、地元の人の意識も変わったことが嬉しかったそう。そう、苔じいはそもそも地元民ではなかったのだった!(ITの方で、場所にとらわれない働き方ができる方。)たまたま居合わせた縁がここまでになったそうで、わたしは生き生きした苔じいの話しを聞きながら、人を活かすのは自分なりの活動や好きな仕事でそしてそれはこんな風に自分でつくることができるものなんだなぁ、と思った。

そして苔の会メンバーは表向きの事は行政にゆずり、いまは苔のガイド活動をしながら、ミクロからみるマクロの世界の不思議、苔から考える命のはじまりについて、考え、問いかけ、次の世代に継承していくことを、楽しみとしているという。私たちはこのような苔を愛する苔の会の方たちと科学博物館の先生にガイドをしていただいた。

 

私はアイスランドの苔の大地をみてから少し苔に興味を持つようになった、あの風景は忘れられません、と観察会でいうと、「苔は最初に海から陸に上がった生き物だ、アイスランドではそのはじまりに近い姿が見れたのかもしれないね」、と苔じいと科学博物館の先生が言ったのがとても印象的だった。私の中で自分の旅と旅が繋がって世界が広がった感じがした。(始まりの国、アイスランドへ。スナイフェルスネス半島編。 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

 

私には今回苔を通して出会った人が苔よりも印象的!という旅でした。

f:id:ayutann:20171021110446j:imagef:id:ayutann:20171021110502j:image

 

 青空も見れたよ。

 

 

 

京都めぐり。

 f:id:ayutann:20171005213941j:image f:id:ayutann:20171005130118j:image

のどかな大原。キンモクセイの香りが満開。

f:id:ayutann:20171005180717j:image

昔はあんなにお寺が好きだったのに、今は変わった。5年前くらいまでは仏像が好きだったので、「お寺には色々あるけど、神社には何もない。」と思った。それが今では、「神社にはすべてあるけど、お寺にはあんまりない。」と感じる。なぞなぞのよう!最近ではそれが自然のエネルギーかなと思う。エネルギーは循環するので、神社では何か対話できるような感じがある。お寺は建物があって、エネルギーよりも人が主体の人のための場所のような気がする。

f:id:ayutann:20171005180532j:image  f:id:ayutann:20171005180549j:image

 三千院の奥の宝泉院にてお茶を頂ける。お庭の緑が眩しく、借景がとても綺麗。

f:id:ayutann:20171005180638j:image

三千院の下のお漬物屋さんにあった一輪挿しは、私が去年に霧島の妙見温泉で買ったものと同じで、お店の人に聞くとなんと私と同じところで買われたそうだった。偶然にびっくり!自分も旅歩いてるもんだなあと思った。(霧島の夏休み。その4 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

 

午後は山からおりて、たまたま乗ったタクシーの運転手さんのガイドにまかせて、はじめてのお寺に。

f:id:ayutann:20171005213852j:image  f:id:ayutann:20171005213905j:image  f:id:ayutann:20171005214103j:image

終始キンモクセイの香りに包まれた、のんびりの京都めぐりを終えました。 

 

ディープな熊野と奈良の旅、しめくくりに京都。とても贅沢な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

湯ノ峰温泉からの、京都へ。

参拝を終えてバスに戻った。玉置神社は社務所に有名なふすま絵があったそうで、同じバスの乗客である、先生と言われたおじさんともう1人の女性はそれが良かったそうだ。頂上まで登ったのは私だけだった。三者三様の楽しみ方をして、同じバスに揺られ十津川村に戻る。世界遺産バスは1日にこの1往復しかない。

 

さて、十津川村から今度は別のバスで湯ノ峰温泉を目指す。こんな秘境だが、意外にもバスの乗客は外人さんが多かった。行き先を告げるため「yunomine!」と英語がとびかう。ヨーロッパには多くのキリスト教巡礼の道があるので、熊野古道世界遺産登録後、巡礼のように多くの外国人観光客の関心をよんでいるようだ。都心やナイトクラブがなくてもこれだけ外国人観光客を誘致できる場所は珍しいのではないだろうか。

 

 湯ノ峰温泉到着。

f:id:ayutann:20171001190222j:image f:id:ayutann:20171001185126j:image

湯ノ峰温泉は泉質が関西1だという。有名な「つぼ湯」という公衆浴場が古くからあり、昔々、毒を盛られたお侍が逃げのび、ここで湯治をして復活したという伝説のお湯だという。興味があってのぞいてみたが、一目見て入りたくないと思ったのでやめた。そういう直感て大事だと思う・・・。

温泉宿を予約していたので、宿でのんびりお湯に使った。宿のお湯はとても良かった。源泉に一番近いので、湯の花がたくさん。十津川のお湯を濃くした感じだ。空いていたのか、1人なのに居間と寝室が分かれていてふた部屋もある広い部屋で、贅沢だった。宿のご主人が一人で奮闘している宿で、こちらがひとり旅だったので色々と気を遣ってくれ、快適に過ごした。特にやることもないのですぐに寝た。

 

翌朝、チェックアウトの時に宿のご主人と話すと、実はご主人の本業は別にあり、この宿は数年前に買ったのだとか。旅館は趣味だというけど、温泉の管理、掃除、食事は仕出し弁当と飲み物の提供、予約管理など1人ですべてまかなって、睡眠3時間です、お盆の時期は1時間という、そのどこが趣味なのか・・すごいな!と思った。かなり広い宿なのに、宿はいつも外国人観光客で貸し切りなのだそうだ。昨日今日は珍しく、日本人の方ばかりでしたね、と言った。色んな人生があるものだなあと感心してしまう。以前の宿の経営者が、玉置神社と縁が深かったとのことで、玉置神社の御神体について教えて頂いた。そしてやはり、呼ばれた人しか上がれないんですよ、すごいですね、なんてことを言っていた。縁起がいいと思っておこう。

 

さてこの日は湯ノ峰温泉から2時間くらいかけてJRの紀伊田辺駅へ。紀伊田辺駅から特急くろしおで新大阪について、乗車券は京都まで買っていたものの、お昼だったのでご飯を食べたくて駅員さんに聞くと、本当は途中下車できないんだけど、お昼食べるくらいなら良いよ、と外に出してくれた。聞いてみるもんだなぁということと、関西の人情って素晴らしいな!と思った。しっかりたこ焼きを食べて、京都に向かった。

京都のホテルで母と合流すると、開口一番に、「なぜだか分からないけどスイートルームに変更になった。」との事。その後たまたま当日予約のとれた料亭にいけば、急なキャンセルがあったので今日じゃないと予約出来なかった、と聞き、色々とラッキーが重なった。

f:id:ayutann:20171001204824j:image

 菊乃井にて。琵琶湖の子持ち鮎

 

山奥の秘境からようやく都会へやってきた。