かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

お茶会のこと

きづけばもう秋で、ものすごい台風の後には清々しく金木犀が香り、ふと1年を振り返るきもちになりました。

今年は平成のさいご、四月にお茶会を開きました。

きっかけは友達が和菓子を作りたいと言ったことと、別の友達が着物にハマっていると聞いたことがきっかけで、私がお茶を点てればみんなが輪になることが出来ると思いつき、かつての趣味の茶道を10年ぶりくらいにいに復活させて、いきなり素人ながらお茶会をひらいてみました。

準備には1か月ほどかけました。
お点前は身体で思いだしたかったので、また習いにいきました。
お弟子さんの間の上下関係とか、先生との難しいお付き合いとか、そういうしがらみにはいっさい巻き込まれないでお茶を習うシステムがあるので、いまの時代に感謝です。

1番面倒な施設の予約は、アクセスの良さで区の施設にしようと思い、ふらっと区役所に行ってみるとあしたの朝が抽選会と聞き、翌日に無事予約できました。団体名を登録しないとならず、ちょうど4月後半の日を予約できたので『春のお茶会』と名付けました。

内輪の会なので気楽に楽しく、でも皆んなお点前の時は予想外にしーんとして見つめられてしまったので、プレッシャーに弱い私は緊張してしまいました。



そして友達の見事な和菓子❗️プロ並です・・!
芍薬と、杜若をモチーフにしてくれました。
お茶はお薄だとすぐに終わってしまうので、お菓子とお茶を2種類用意して、二服ふるまいました。
初対面同士の友達もいたのに、わいわいとあっという間に時がたちました。

お茶の入り口は五つある、とお茶の先生に聞きましたが、お菓子がすき、お道具がすき、お着物がすき、あと2つは忘れてしまったけど、私はなんでお茶の世界に入ったのだったかな?

昔は和菓子も喉に詰まって好きじゃないし、お抹茶もお腹にもたれて好きじゃない、正座も続ける根性はない、なのに、やってみると手が知っていた、という感じでした。

お茶は限りなく型にはめられる世界ですが、型にはまって自分を失くしてみると、その中で立ち上がってくる美しさや自由があるようにも思います。

いつも変化や自由を求めてしまうようでいて、太極拳やお茶など、型の世界に一番自分になじむものを感じてしまいます。
水の中を覗きこむような、静かに広い世界がそこには広がっているようです。

知らない世界に耳をすませて、
静かな趣きある言葉をあびて、
誰かのために目の前の道具と空間を大切に扱う。

それにはふしぎと満たされるものがあります。

けれどできれば昔の人のようにお茶室から季節の移りを体感できたら。
本能的に求めていることはとてもシンプルで、移り変わる空をみたい、夜を夜らしく感じたい、自然が知らせる季節を感じたい、身体で感じたい。

ということなのだ。

道具やしつらえの美しさよりも、まずは月や虫の声を聞きながら水の音を聞くような、そんな体験を望んでいるような気もするし、
私にとってのお茶が、そういうことに繋がってゆくことを思っている。