かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

北八ヶ岳で苔を見た。

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友人に誘われ、北八ヶ岳の苔の観察会に行ってきた。小さき宇宙の世界。これほど足元に目を凝らしたことはない。こんなミクロな世界があったなんて。森の始まりの姿をみた。アイスランドにいったとき、そこは溶岩の上を覆ういちめんの苔の大地だったのがすごく印象的だった。苔は光合成により完全に自主独立した生命体(他の生き物から栄養をもらうわけじゃない)で、たっぷりと水を含んだ苔の大地の上に木が育つ。

北八ヶ岳は日本でも有数の苔の名所で、最近はJR大人の休日倶楽部で吉永小百合がCMで訪れたことでまた注目を集めているそうだ。苔の観察はじっと足元を見るので寒かったけど、苔を愛する人達の苔愛が素晴らしかったです。そしてこの観察会を主催する北八ヶ岳苔の会を育てた、通称苔じいのストーリーがとても印象的だった。

苔じいからお聞きした苔の会の歴史をいっきに書いてみます。

8年前から始めたこの活動、北八ヶ岳の貴重な苔を守るため、また広く知ってもらい色んな人に訪れてもらうため、山小屋の大将たちと苔じいで「苔の会」と名前をつけスタートした。まずは苔についてきちんと知るため、科学博物館の先生に何とかコンタクトを取って招致し観察会をひらき、北八ヶ岳が「貴重な苔の森」に認定された。先生には苔の会の「顧問」をお願いし、継続的な活動に発展していく。貴重な苔を外にアピールしていくため、行政に断られながらも諦めず補助金を取り、北八ヶ岳の苔の図鑑とパンフレットを製作した。また現地に訪れる人のために山小屋の大将がひとりでコツコツと森に木道を設置したり、苔の会メンバーも日本蘚苔類学会に入会し、北八ヶ岳での学会開催が実現し、苔の会メンバーも研究活動に邁進し学会で先生と共同発表を行うまでに学術的にも発展したそうだ。やがて苔の会の活動に行政も積極的に関わるようになり、苔の森開きの日には市長もくるようになったり、観察会のある日には拠点となる山小屋まで行政がバスを出してくれるようになることで多くの人が訪れ、北八ヶ岳の苔の森はメディアにも取り上げられ広く知られるようになった。そしてまるでトントン拍子にディスカバーJAPANにのり、アメリカのウォールストリートジャーナルに取り上げら、そしてJRのCMで吉永小百合さんがくる!!と今や静かなる苔ブームがおきているよう。

苔じいと山小屋の大将たちだけで始まった活動。一から全部やったからすごく面白かった、と苔じいは語って下さった。全国的な貴重な森であることを知って、地元の人の意識も変わったことが嬉しかったそう。そう、苔じいはそもそも地元民ではなかったのだった!(ITの方で、場所にとらわれない働き方ができる方。)たまたま居合わせた縁がここまでになったそうで、わたしは生き生きした苔じいの話しを聞きながら、人を活かすのは自分なりの活動や好きな仕事でそしてそれはこんな風に自分でつくることができるものなんだなぁ、と思った。

そして苔の会メンバーは表向きの事は行政にゆずり、いまは苔のガイド活動をしながら、ミクロからみるマクロの世界の不思議、苔から考える命のはじまりについて、考え、問いかけ、次の世代に継承していくことを、楽しみとしているという。私たちはこのような苔を愛する苔の会の方たちと科学博物館の先生にガイドをしていただいた。

 

私はアイスランドの苔の大地をみてから少し苔に興味を持つようになった、あの風景は忘れられません、と観察会でいうと、「苔は最初に海から陸に上がった生き物だ、アイスランドではそのはじまりに近い姿が見れたのかもしれないね」、と苔じいと科学博物館の先生が言ったのがとても印象的だった。私の中で自分の旅と旅が繋がって世界が広がった感じがした。(始まりの国、アイスランドへ。スナイフェルスネス半島編。 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

 

私には今回苔を通して出会った人が苔よりも印象的!という旅でした。

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 青空も見れたよ。

 

 

 

京都めぐり。

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のどかな大原。キンモクセイの香りが満開。

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昔はあんなにお寺が好きだったのに、今は変わった。5年前くらいまでは仏像が好きだったので、「お寺には色々あるけど、神社には何もない。」と思った。それが今では、「神社にはすべてあるけど、お寺にはあんまりない。」と感じる。なぞなぞのよう!最近ではそれが自然のエネルギーかなと思う。エネルギーは循環するので、神社では何か対話できるような感じがある。お寺は建物があって、エネルギーよりも人が主体の人のための場所のような気がする。

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 三千院の奥の宝泉院にてお茶を頂ける。お庭の緑が眩しく、借景がとても綺麗。

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三千院の下のお漬物屋さんにあった一輪挿しは、私が去年に霧島の妙見温泉で買ったものと同じで、お店の人に聞くとなんと私と同じところで買われたそうだった。偶然にびっくり!自分も旅歩いてるもんだなあと思った。(霧島の夏休み。その4 - かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

 

午後は山からおりて、たまたま乗ったタクシーの運転手さんのガイドにまかせて、はじめてのお寺に。

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終始キンモクセイの香りに包まれた、のんびりの京都めぐりを終えました。 

 

ディープな熊野と奈良の旅、しめくくりに京都。とても贅沢な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

湯ノ峰温泉からの、京都へ。

参拝を終えてバスに戻った。玉置神社は社務所に有名なふすま絵があったそうで、同じバスの乗客である、先生と言われたおじさんともう1人の女性はそれが良かったそうだ。頂上まで登ったのは私だけだった。三者三様の楽しみ方をして、同じバスに揺られ十津川村に戻る。世界遺産バスは1日にこの1往復しかない。

 

さて、十津川村から今度は別のバスで湯ノ峰温泉を目指す。こんな秘境だが、意外にもバスの乗客は外人さんが多かった。行き先を告げるため「yunomine!」と英語がとびかう。ヨーロッパには多くのキリスト教巡礼の道があるので、熊野古道世界遺産登録後、巡礼のように多くの外国人観光客の関心をよんでいるようだ。都心やナイトクラブがなくてもこれだけ外国人観光客を誘致できる場所は珍しいのではないだろうか。

 

 湯ノ峰温泉到着。

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湯ノ峰温泉は泉質が関西1だという。有名な「つぼ湯」という公衆浴場が古くからあり、昔々、毒を盛られたお侍が逃げのび、ここで湯治をして復活したという伝説のお湯だという。興味があってのぞいてみたが、一目見て入りたくないと思ったのでやめた。そういう直感て大事だと思う・・・。

温泉宿を予約していたので、宿でのんびりお湯に使った。宿のお湯はとても良かった。源泉に一番近いので、湯の花がたくさん。十津川のお湯を濃くした感じだ。空いていたのか、1人なのに居間と寝室が分かれていてふた部屋もある広い部屋で、贅沢だった。宿のご主人が一人で奮闘している宿で、こちらがひとり旅だったので色々と気を遣ってくれ、快適に過ごした。特にやることもないのですぐに寝た。

 

翌朝、チェックアウトの時に宿のご主人と話すと、実はご主人の本業は別にあり、この宿は数年前に買ったのだとか。旅館は趣味だというけど、温泉の管理、掃除、食事は仕出し弁当と飲み物の提供、予約管理など1人ですべてまかなって、睡眠3時間です、お盆の時期は1時間という、そのどこが趣味なのか・・すごいな!と思った。かなり広い宿なのに、宿はいつも外国人観光客で貸し切りなのだそうだ。昨日今日は珍しく、日本人の方ばかりでしたね、と言った。色んな人生があるものだなあと感心してしまう。以前の宿の経営者が、玉置神社と縁が深かったとのことで、玉置神社の御神体について教えて頂いた。そしてやはり、呼ばれた人しか上がれないんですよ、すごいですね、なんてことを言っていた。縁起がいいと思っておこう。

 

さてこの日は湯ノ峰温泉から2時間くらいかけてJRの紀伊田辺駅へ。紀伊田辺駅から特急くろしおで新大阪について、乗車券は京都まで買っていたものの、お昼だったのでご飯を食べたくて駅員さんに聞くと、本当は途中下車できないんだけど、お昼食べるくらいなら良いよ、と外に出してくれた。聞いてみるもんだなぁということと、関西の人情って素晴らしいな!と思った。しっかりたこ焼きを食べて、京都に向かった。

京都のホテルで母と合流すると、開口一番に、「なぜだか分からないけどスイートルームに変更になった。」との事。その後たまたま当日予約のとれた料亭にいけば、急なキャンセルがあったので今日じゃないと予約出来なかった、と聞き、色々とラッキーが重なった。

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 菊乃井にて。琵琶湖の子持ち鮎

 

山奥の秘境からようやく都会へやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉置神社へ参拝

朝ごはんを食べていると窓の外に野うさぎがみえた。きのう大斎原の河原で、小さなころころしたフンをたくさん見ていたので、やっぱり!と思った。
今朝は宿の送迎バスでまた十津川温泉駅までいき、玉置神社行きの世界遺産バスに乗る予定。

すると十津川温泉駅には昨日熊野から乗ったバスの運転手さんがいて、「このセンセイも行くらしいわ」と、玉置神社行きバスを待っていたサラリーマンのようなお客さんとさっそく話していた。「ちょっとスケベェやけどな!」とがははと笑った。なんて紹介の仕方であろうか・・笑


玉置神社行きバス(世界遺産バス)は、なんと土日のみの運行で1日一本!
それでもこの日の乗客は私いれて3人だった。(ほとんどの方はマイカーで来てます。)

見事な晴れ!山をのぼり、駐車場は標高1000メートルのあたりにある。ここから参拝する。
景色を眺めてからいよいよ鳥居の前にたつと、ざわざわざわ〜〜〜っと風がたって木々が揺れ、太陽がぱあーーと現れだした。

 

よう来なさったぁー・・✨
と歓迎されるかのような雰囲気を感じた。

 

2つ目の鳥居の前でも、美しい光を感じた。

美しい。美しい。

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森をあるきながら、巨木の立ち姿に息をのみながら、無心に。

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長い参道をぬけ、ようやく本殿にお参り。参道を歩くのがとても心地よく、けっこうな距離だったけれどあっという間についた。

熊野は魔除けのための祈りの場で、玉置神社は熊野三山の総本山だそうだ。

本殿の裏には巨木な縄文杉があった。巨木を育む境内の空気は神秘的だ。それを見ていると、うしろでパタっパタっと音がする。
振り向くと1つの紙垂(しめ縄についている白い紙)が音をならしていた。風はさほど感じていないのに、そこだけ空気の流れがあるのか一定のリズムでパタっパタっと鳴り続けていて、はやくはやく、こっちに進めよ。とでも言っているように感じる。
まだこの先に、玉石社がある。山の上に上にと向かって参道が続いているので、頂上を求めてワクワクした気持ちが膨らむ。


本殿前にもどり、目の前にたまたまいたご家族に、玉石社はこの先ですか?と聞いてみたが、分からないというのでとりあえずそのまま先に進んだ。すると道はもう参道というより登山道のように、どんどん頂上めざして傾斜が険しくなり、さらに木の根が剥き出しの道になっていったので、休み休みしながらどうにか登ってった。やがて少しすると祠の周りに丸い玉石がたくさん置かれたような、玉石社に着いた。玉置神社のもとは、この小さな玉石社だそうだ。玉石社は頂上に続く道の中腹にあり、多くの人が周りに腰を下ろし休んでいた。上に行くにも下に行くにも登山道なのである。

ここでゆっくりすることもできたが、しかしすでに私の気持ちは頂上に向いていたため、玉石社はさっと見て上に進むことにした。

なんだか、神社の中にいる時はあまり疲れとか身体の重さをリアルに感じなかったりする。ある種、ハイになっている模様。
頂上に向けてさらに道は険しく細くなり、本当にトレッキングシューズで良かったと思う道を登りきり、登頂。立派なプチ登山だった。

頂上はそんなに開けた景色ではなかったが、ここが秘められた聖域であればそういうものなのだろう。

しかし辿り着いた気分は爽快だった。

f:id:ayutann:20171001143600j:imageしばし景色を堪能していると、さきほど本殿前で道を聞いたご家族がタイミング良く登ってきた。お疲れ様でした〜!と迎えて、他に誰もいなかったので記念写真を撮り合いっこした。
気をつけて降りてくださいね!と言ってくれてなんだかホッとした。
玉石社まで降りると、まだたくさんの人が座って休憩していた。地元の方はたぶんだいたいこの辺までお参りして、山頂にはそうそう行かないだろう。
実は小さい頃から木の根のはう山道を走り回りたい願望が心の奥にあって、この道を歩いていたらワクワクしてしまいちょっとだけ駆け下りたら、すっ転んでストン!と尻餅をついてしまった。綺麗な尻餅だったので全く痛くもなく、キョトンとしてしまった。
境内ではしゃいではいけません・・。しかしおかげで、参道から外れた山中の石仏に、神主さんが祝詞をあげる姿がみえた。こんな神秘的なところで日々あのような営みがされているのだな、と非日常の景色を味わった。

下に降りてきて最初の参道に戻ったとき、 歩きながら急に夢の中のような気がした。

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あっ、デジャブだ。夢で来てたな、、と思った。

 こうしてファンタジー炸裂の参拝を無事に終えました。

湯ノ峰温泉へ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熊野から十津川へ〜空の上から吉祥予報〜

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出発の朝、東京は小雨ちらつく日だった。普段は目覚ましなんかかけないので、早起きのためにアラームをセットしたらいつ鳴るのか気になってねれなかった・・!

空の上はいいお天気で、飛行機からは綺麗な富士山が見えた。やっぱり富士山、好きだなあ。登りたいとは思わないのだけど。空から見ると思ったよりも大きな姿で、通り過ぎるのもゆったりと感じる。富士山と目を合わせているあいだは、心が空っぽになる。そして雲には虹色の丸と、その中に私の乗っている飛行機の影がまるで海を泳ぐサメみたいに写っていた。

空の上より吉祥予報をお伝えします!本日は良いことがあるでしょう!明日もあるでしょう!

そんな言葉が浮かんできた。この眺めにすでに満足している。

 

南紀白浜空港に到着し、熊野方面へのバスがくるまで30分以上時間があったので、朝ごはんを食べようと空港で唯一のレストランに入った。朝のメニューは1つだけで選択肢はなく、本当はラーメンとか食べたかったなあ。ここで田舎あるあるなのだが、通りすがりのおばあちゃんに携帯の使い方を突然聞かれたので教えてあげた。最近は道を聞かれるより携帯の使い方を聞かれる方が多い気がする・・。

熊野本宮行きのバスに空港から乗ったのは、私をいれてたった3人だった。空港からしばらくは海沿いを走り、そして街中へ入っていく。お腹もいっぱいだったので思わずうとうとしていた。しばらくすると、右足くびあたりでサワサワ〜と風が吹くような、そこだけぞわぞわする不思議な感じがしたので目を覚ます。外をみると、何とか王子、と地名を表すような看板がみえて、熊野古道の近くにきているようだ。ずいぶんと景色が変わっていて、なんだかタイミングよく起こされたみたいだった。

空港から2時間くらいかけて、ようやく熊野の本宮大社前駅に到着した。ここから目的地である十津川行きのバスの時間まで3時間もあるので、のんびりお昼を食べて熊野本宮大社と大斎原をみることにした。

この日は熊野も小雨だったが、それがまたよく似合うところだ。緑は深く、霧がかかり煙っている。見えない中にたくさんのいのちがうごめくような気配。もののけ姫の世界のような。熊野は実に奥深く神秘的だ。

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大斎原(おおゆのはら)の鳥居を裏から。大斎原はもともと熊野本宮があったところで、明治の大洪水のあと熊野本宮は少し高台のいまの場所に移されたそうで、大斎原は今は鳥居が残る。ここに来るのは2度目で、1度目はここで和太鼓奏者の林英哲さんが行ったライブを家族で見に来た思い出がある。

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本宮大社へ。雨が降り続く。

本殿まで続く階段の途中に宝物館があり、なぜかそこの入り口付近に使われていないボートが転がしてあった。こ、これはもしや、その明治の洪水の時に関係あるのでは、、と思って見ていると、料亭の板前のような服をぱりっと着たおじいさんがあらわれ、このボートの謂れを教えてくれた。どうやらこれは皇族(常陸宮)のもので、本宮の神主さんが殿下のボート仲間であったのでそのボートを譲り受け、置き場所なくここにこんな形で転がすように置いてあるのだという・・。よくこれを洪水と関係あるのかと思って見ていく人がいるけど違うんだ、と言っていた。そんな、洪水でここまできたなら、そりゃ地球滅亡ですわ、と言って、なるほど謎が解けました!とお礼を言った。そのおじいさん、本殿前でも一度すれ違っていたけど、その雰囲気の清々しさと目がめちゃめちゃ透き通って綺麗だなあと思い、すごく印象に残った。f:id:ayutann:20170930221307j:image f:id:ayutann:20170930221316j:image

さて、一通り観光したもののバスまではまだ時間があるので、いい感じの喫茶点でのんびりした。雨だし。和歌山といえば紀州梅。梅ジュースがとっても美味しかった。梅の身をほぐした木のスプーンをガラスの器に入れると、熱でゆっくりと曇っていくのが綺麗だった。喫茶店でハガキを売っていたのでハガキを書くことを思いついて、かいてみる。なかなか良い時間になった。友達のお母さんにあてて、手作りのお皿を頂いたお礼をしたためた。

そしていよいよ来た1日2本限りの、十津川村行き最終バス。乗客はなんと私だけ!熊野から十津川村までは30分くらい。十津川村は東京都と同じ大きさがありながら、人口は3000人ほどなのだそうだ。バスの運転手さんは生まれも育ちも十津川だそうで、気さくですごく面白かった。(※と思ったが、実は十津川村に関西弁のような方言はない(十津川は、南北朝が吉野におかれた影響のためか、ここだけ非常に標準語に近い関東アクセントの言葉になっているそうだ。)ときいて、この方は出身は十津川ではないのかもなぁ、と後から思った。)

お姉さん東京から来たってことは、大学でてるんやろ、エリートじゃな〜、東京の人はあれやろ、やっぱりみんな大学でてるんじゃろ。わしは勉強はさっぱりやな〜、というので、勉強できても心が健康のほうがいいと思う!と言うと、でもあんまりアホはあかんやろ〜?と、地元のガキ大将が大人になったような、めちゃめちゃ素朴で明るい太陽みたいなおじさんだった。それで、毎日十津川の温泉入ってて肌が乾燥するから肌水を数種類ブレンドして使っている、とか話をきいていると、地元のおじさんが1人乗ってきた。久しぶりにバスに乗ったらしく、日常生活の会話が繰り広げられた。

運転手さんが

「犬、どうした?死んだか?」

「死んだ。12歳やった。」

「ほうか。わしものぅ、四国犬ちゅうのこうての。2匹おってな。」

四国犬か。あぁ、◯◯んとこの犬、紀州犬な、あれよう吠えるな。」

「吠えるな。バスにもよう吠えよる。」

「あれはあかんな。人に食いつきよるぞ。」

「ほんまな。こんなコロ(子犬)のときに食われたわ。」

(※方言はデタラメとなっております・・泣)

と、つづく方言の、その会話にただようものすごい味わい(?)とテンポに聞き惚れてしまった。私が同じ内容の話を友達としたとして、こんな味はでない。宮崎駿が、赤ちゃんの仕草をさして「こういうのも文化だから」と言っていたが、私はこの会話をききながら「これも文化だ!」と思った(?)。なんだか耳に心地いいリズムで会話がぽんぽん続いて、私が喋ったら壊してしまう感じだった。

さて、十津川村のバス停からは宿の送迎車でこれまたすごい山道をとおりながら、温泉宿「静響の宿 山水」に到着。迎えてくれたお宿の方も、すっごく目がきれい!なんというか、自分の内面の素朴さと近しいものを感じた。どうか、その良さが守られますように。(そして確かに、この宿の方は方言でなく標準語のイントネーションで話されていたので、十津川の方かなぁと思った。)

近くに流れる十津川の河の音をききながら、温泉を満喫して眠りにつく。(十津川は温泉もとても良い。)一人暮らしして1番かわったのは、どこでも良く寝れるようになったこと。

 

明日はいよいよ神社へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十津川村、玉置神社へのアクセス。

奈良の奥深く、十津川村の温泉と玉置神社にいつかは行ってみたいと思っていたけど、いつかは、と遠くにある感じがしていた。けれど今回奈良の地図を眺めていたら、急に十津川と玉置山山頂の玉置神社が手の届きそうなところとして目の前に迫ってきて、行きたい、と強く思った。

何やら調べてみると、玉置神社はかなり山深いところにあり、一説には「(神様に)呼ばれないとたどり着けない」とまで言われている。「行く。」と私の心は決まっていたけど、友人を3人くらい誘うもたまたまみんな予定が合わず、一人でいくことに決めた。

そしてたまたま、知り合いの神社好きの人が以前、玉置神社に行こうとしたことがあるが路面の凍結で車が通れず行けなかったこと、会社の先輩が温泉が好きで以前に十津川行きを計画するも台風で行けなかったこと、を聞いた。また、2日目に泊まる予定の湯ノ峰温泉の宿に電話をすると、「あの神社は呼ばれないと行けないところですよ」と言われ、さらには十津川温泉から玉置神社までの世界遺産バス(1日一本!)を予約すると、「こちらは雨が多いので、降水量が多い日はバスが通れないこともあります。」と、ますます辿り着けるのか運試しのような気がしてきた。

しかし、神社に聞きたいことがあり電話をしてみると「どうぞ、お上がりください。」と言っていただき、途端に大丈夫な気がしてきたのだった。

計画段階から不思議な予感にわくわくした。しかし現実問題、やっぱり十津川は遠いのだ。十津川村奈良県だが、奈良から行くと吉野の近くの五条というところから、日本で最長の走行ルートなことで有名な路線バスにえんえん3時間も乗ることになる。近畿なのに、東京から9時間くらい移動し続けないと着かない、ディープなところだ。奈良は広し。

が、調べていると和歌山県の熊野からもアクセスできる位置にあるとわかり、そしてこちらのほうがかかる時間は変わらないが楽に行けるルートだったので、熊野経由で十津川に行くことにした。

 

まとめると、このような旅程となりました。

(この行き方にしか、ならない!)

 ※熊野、十津川あたりに流しのタクシーはいません。事前に予約するか、レンタカーか、私のようにバスで移動となります。

 

1日目

羽田(7:25発)→南紀白浜空港(8:30)着

バスで、

白浜空港(9:28)→本宮前(11:50)

本宮前(15:26)→十津川温泉駅(16:03)

十津川温泉行きバスはこの時間しかない。

 

2日目

世界遺産バスは土日のみで、この1本!

十津川温泉(8:45)→玉置神社(9:24)

玉置神社(11:10)→十津川温泉(11:50)

十津川温泉(13:45)→湯ノ峰温泉(14:34)

この日は湯ノ峰温泉泊。

 

3日目

湯ノ峰温泉(8:31)→紀伊田辺(10:15)

紀伊田辺(10:41)→新大阪経由で京都へ。

京都で母と合流し、翌日東京へ。

 

と、この旅程をみてここからの旅行記を読んで頂くとわかりやすいかと思います!

 

つづく。

 

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ファンタジーという形をとって私の魂の自由が炸裂。

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昨日、熊野〜十津川〜京都の旅から帰ってきた。

 

今回は、十津川村の玉置神社に急に行きたくなって、よばれるように行って、無事遊んで(参拝して💦)きた。玉置神社は素晴らしかった。

 

私はまた、はじめてインナー風水太極拳に出会ったときのような、あの不思議な恍惚感をまた味わっている。

充足感、新しい世界がはじまるような、幸せなきもち、なんだかじーんと感動して涙でてくる、悲しいわけじゃなくて、暖かい、

言葉にすると、

「大好き・・」

と、恋しちゃった!!また。

 

いったい何に?神様に?クリスタルに?旅に?

 

神社ですごした、ファンタジックな瞬間に、まさにファンタジーという形をとって私の魂の自由が炸裂した。それでまた自分の感性に恋をした。自分の生き方に恋をする、そんなこともあるのかもしれない。

ファンタジーのはじまりは、感じることを実行することから。「ふと思った」を信じて本当にやってあげた自分への猛烈な感謝。

 

時間は一定には流れていない。

一瞬一瞬、濃度をかえ、凝縮したその一時が、人をぐるっと変えてしまうことができる。

だから子供は急に成長する時がある。大人がまるでワードローブに隠れている一瞬の時、と思う間に、子供たちはその感性でまるで異世界のナルニアに行くような冒険ができるのだ。大人にもそれはある。

 

すべては感性で、時を超える。

 

だから心のままに、自由に生きろよ、それでいいんだよ。

毎日のこつこつと、そして変わる時は一瞬で変わるから、時を待てよ。

 

と感じた。

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