いま、出光美術館では、酒井抱一の燕子花図屏風がかかり、根津美術館では尾形光琳の燕子花図屏風がかかっている。
この数日のあいだに、どちらも観てきた。
今日は光琳の方を。
国宝だけれど、
私は光琳が晩年に描いたという夏草図屏風(だったかな?)のほうが、好きだなぁ。
華やかさではこの燕子花図屏風にかなうものは無い。
ニ曲一双で、右と左では構図が違い、
今回良くみてみたら、余白のある左の方がなんだか好きだなぁと思った。日本人らしい感性?
あの余白に月が見えそうだ、、と思った。
燕子花がだんだんと右下に見切れるように下がっていく構図なので、その上の余白が、余韻を生む。
なぜ、月、と思ったかなぁ?
と思ってさらによくよく眺めていると、
ほんのり、燕子花の花の色が、絶妙に濃淡があるのだが、左のほうが少し暗いトーンなことに気づいた。だから無意識に、夜を連想したくなったのかもしれない。
この絵は、配置がデザイン的で、色の塗り方も単調なほうで、風や光は感じさせない。燕子花の凛とした立ち姿をよく表しているけれど、写実さとは違う。当時でも目に焼き付く斬新さがあったのだろう。
光琳の展示の最後に夏草図屏風があって、
草花がそこにあるように生き生き描かれていて、風や光も感じる。
その左下にひっそりと、燕子花が描かれていた。
それが何とも美しくて、目を惹いた。
これよこれ、という気持ちになって、しばし眺めた。
綺麗な藍のような色に、うっすら金で縁取られていて、それも綺麗だった。自然の儚い綺麗な姿があるなぁ、と感じさせて眺めていたくなる。
私にはそう感じた。
年を重ねたせいか、美しいなぁと思えるものが増えるのは嬉しい。