かえってきた⭐️cui cui diary〜 ティータイムにessayを。

おもに旅日記、日々の中の新鮮さを保つこと。

ダイアリー24 つぶやき

🌺夏バテ前に、

お鍋でご飯を炊くのにはまった。

炊飯器よりおいしくて簡単で感動✨

わざわざ土鍋じゃなくても、家にあるどうってことない片手鍋でも美味しく炊けて嬉しかった。

ポイントは、30分でもお米を水につけておくことと、パチパチって水分が飛ぶ最後の音をきいて、おこげを調節することかなぁ。

かなりマイブーム。

 

🌺家事も続ければそれなりに上達していくし、工夫や個性みたいなものが生まれるよね。

それなりに家事に励むことがけっこう自分の支えになったりもする。日常の持つ大切さを感じる。

 

🌺いつか1人になるの怖いなぁって思ったりする。

昔、実家の近くで一人暮らしのおばぁさんがいて、大学生のころ夜に帰り道を1人で歩いていたら、縁側に出ていたおばぁさんに呼び止められて、何だか話しを聞いてるうちに、30分くらい一緒にその縁側で過ごしたことがあった。

今思えば、あのおばあさんも話し相手が欲しかったのだろうなと思う。

 

1人で海でゴミ拾いをしてたら、地元の人っぽいよく焼けたおじいさんが通りかかり、しばらく私を見てから自分もゴミを拾い、「おじょうさん、やぁ、どうもどうも。」と声をかけて去っていった。

先日そのおじいさんがたまたまテレビに出ていて、インタビューで、自分はダンベルと海岸のゴミ拾いが日課だ、と言っていた。何かのきっかけになったのかもしれない。

 

近所を朝散歩しながらゴミ拾いしたとき、並木のベンチでひとり静かに座るおばあさんがいた。しっかり日焼け止めを塗って、少し座っては違うベンチにうつり、朝日を浴びているようだった。私が通りかかりごそごそゴミを拾っていると、まぁ偉いわねぇと言った。褒められるためにはやってないけど、てへへと照れくさい気持ちになって、少しだけそのおばあそんが気になってたから、何か言いたかったけど何も大したことは言えない自分だった。

 

もし未来の私が1人で途方に暮れていたら、こんな風に通りすがりでもお話ししてくれる女の子がいたら嬉しい。近所のモスバーガーみたいなお店があったら嬉しい。すっぴんでゴミ拾ってる人をみて、そうか何かまだまだ出来ることもあるかもしれないと気持ちが広がることがあったら嬉しい。

 

知らない人と話すことや、何げない会話って私にはすごく難しかったりするけど、

いつかさりげなく周りまわって、人生が嫌になってもふと、でもあの時あの人は優しくしてくれたな、、とか思ってもらえたら嬉しい。

 

高校生の時に友達が拒食症になってあまり学校にこなくなって、私は1人で過ごすことが増えて、久しぶりに会うたびにすごく痩せていってびっくりした時も、私はどこかが、どこ吹く風のように接してしまうことがある。

一緒に解決しよう、という姿勢でもなくて、まるで気にもとめない、どうなってもあなたである事に変わり無いしそんなこともあるよね、というような。

けど、どうしたらいいかも分からなかった。

彼女も相談とか胸の内を話すことはしなかった。ただ、手紙をくれた。いつか必ず元気になると。

とにかくこのささやかなやり取りは無くならないよう、今より辛くなってもふと、でもあの時間は悪くなかったと、思い出してもらえればいい。

そんな気持ちでいたりすることがあった。

私の優しさっていつもそんなものなのだ。

 

そしてきっといつか私も、そのささやかな誰かの優しさにれとても救われるのかもしれない。